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大統領の教育コースは無いものか?=無能な政治家という「人災」=パラグァイ在住 坂本邦雄

現職のオラシオ大統領

現職のオラシオ大統領

 世には「学」とは名付けるが、明確な学問ではなく、しかも一般庶民が学ぶものではない奇妙な〃学問〃がある。王家や家系・家柄などの跡継ぎに対する特別教育を指す「帝王学」だ。
 平等を本義とする我がデモクラシー体制での共存社会の欠点かも知れないが、パラグァイでは誰しも大統領又は政治家になるために特別な勉強はしない。
 だから、いつまでも市民は平凡な無能為政者や政治家連という「人災」に苦しんでいる。
 権利は主張するが義務を果たす事はしない、秩序と倫理が不在な時勢の中で、目に余る汚職は蔓延はびこり、治安は日増しに悪化し、皆が泣かされている。
 これも、一国の治政の良し悪しは、すなわち公僕を選ぶ「有権者自身の質の程度の反映に他ならぬ」と言われれば、返す言葉もないが…。
 この観点から各国の統治事情を俯瞰するに、一様に善政の欠如が認められる。
 古い皮肉な喩たとえに、「権力がもし昔の為政者の手に委ねられていれば、国々の政治は遥かに良くなって居ただろう」と、言うのがある。
 この仮説は、昔の多くの大統領が権力の座を降りた時に、在職中の多数の失政を振り返り、もし時間を元へ戻せるなら、犯した間違いを改めて、正しく遣り直すだろうと反省した事による。
 一国の統治は生易しい事ではなく、もし為政者に選ばれた者が、権力の行使の基本的知識や経験も持ち合わさなければ、恐らく誤った決断、傲慢、行政権の乱用や無限の汚職の泥沼に填り込むであろう。
 パラグァイの最近の短い期間のデモクラシー体制下では、傲慢・尊大の念に駆られて、大統領二期連続再選を狙う過ちが懲りずに繰り返されている。唯一反省したのは、ニカノル・ヅアルテ・フルトス元大統領の一人だけである。
 ただし、過去パラグァイで幾つかの政治形態が試行模索されなかった訳ではない。
 まず、ストロエスネル長期独裁政権を打倒したクーデターを初めとし(故ロドリゲス将軍の革命政権)、次いで実業家として成功したと思われたエンジニア(ワスモシ政権)が続き、更に僅か8カ月も存続しなかった一革命将軍(故オビエドUnace党首)の強力な援護で出来たクバス政権が登場した。
 前者(クバス)の早期の躓きで、司法府(最高裁)はベテラン政治家にして、同時に何も知らないゴンサレス・マキ国会上院議長を、憲法の継承順位の規定に従って、後任大統領に任命した。
 これに続いたのは、当初は善政を布いていたかに見られたが、途中から脱線した前述の元新聞記者のニカノル・ヅアルテ・フルトスが大統領になった。
 しかし、続いて起きた前代未聞の大きな驚きは、事もあろうに貧民や社会の疎外者層の一大旗手として、政界に打って出たフェルナンド・ルーゴ元司教の大統領当選だった。
 これはパラグァイ民俗の素地に馴染まぬ異種現象として、伝統体制の反撃で〃道路脇の排水溝〃に放り込まれた。
 そして、パラグァイの国民が新たな選挙に臨んだ時に、政界に目新しく横から現われたのが、自社製品タバコの密輸出等で余り評判が良くない大金持ちの企業家で、かつ一国の統治術の知識が乏しく、政治の経験は全く無いに拘わらず、厚かましくも「ロペスの椅子=政権の座」を狙った、オラシオ・カルテス現大統領だった。
 この度は、再び「ロペスの椅子」を争う大統領総選挙が来る4月22日に行われる予定だが、既に国を挙げての各政党政派の選挙運動が騒々しい。
 党員数において最大の赤党コロラドは、かつての独裁政権の中枢にあって、ストロエスネル大統領の秘書官だった故マリオ・アブド・ベニテスと同名の遺子で――党内立候補選でカルテス大統領が推した麒麟児のぺニャ前蔵相を抑えて勝った――職業政治家(マリト)を赤党の公認大統領候補に擁立した。
 片や第二の伝統政党リベラル(青党)は、その他一連の野党勢力を纏めて連合し、エフライン・アレグレ党首自らが野党代表の大統領候補として立候補している。
 両立候補者共、政治経験が大変深く、思想的には大した相違はない。
 それぞれ踏んでいる土地の事情・民情を熟知していて、国家の大統領になる事は、かつてより常々抱いていた大志であろう。
 この点、課題の元に戻って言うなれば、未だ何れの大統領経験者も大統領教育を受けた試しはなく、また在任中にそれぞれが犯した重大な施政過失も認めはしない。
 アブド(赤党)又はアレグレ(青党)何方どちらの候補者が今回勝ったにせよ、次期大統領には山積した難しい問題が待っているのだ。
 国民は最も重要な領域におけるインフラ構造の難題に苦しんでいる。
 市民の3分の一に相当する人口は貧困層に在り、教育事情は大惨状、公共衛生管理は破産状態、農民は貧窮に泣き、多くの人々は失業に困っている。
 そして、最も悪質なのは公共資金をもって私腹を肥やす恥知らず共は、そこらに図々しく座っていて、国民の血税で、オーバー又はアンダーインボイスを使って、一攫千金のチャンスを虎視眈々として狙っている事だ。
 いうまでも無く、大統領教育コースを設けるのは差別的で、かつ必ずしもこれで我が諸問題が解決されるとは限らない。
 万民は法律の前で平等であり、何人たりとも差別なく合法的に大統領職を望めると言う原則に反する。
 しかし、我が統治者や政府当局者のレベル又は質の向上を図るには何らかの手段を講じなければならない事も事実である。
 この答えには、あるいは気が遠くなる様な長期の時間を要するかも知れない。
 国民の社会経済的福祉及び市民教育の事情が改善されるにつれて、始めて将来はどのように賢く市民権を行使して、最も好ましい為政者を選ぶかの良識が磨かれると言うものだ。
 当分は現在の「牛馬」で懸命に土地を耕しつつ政治改革によって、2111年のパラグァイ独立3世紀周年記念をめでたく祝える、高度の選挙が出来る様になる事を期待しよう。

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