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特別寄稿=日本定住化30周年記念=日系最大級の人材派遣会社=創業30周年を迎える「晃和」=トメ・アスー出身の斉藤社長=カンノエージェンシー 菅野英明

群馬県伊勢崎市にある晃和本社

 この3月に7年ぶりに二世の創業社長・斉藤和浩(さいとう かずひろ)を取材した。その間、会社の事業規模は一回り大きくなっていた。来日2年後の1991年に24歳で創業。仕事はブラジルの日系二世・三世を中心にした外国人労働者を、日本企業と結ぶ人材派遣を行う会社だ。社名は株式会社「晃和」(こうわ)(群馬県伊勢崎市本社)で、日系社会では最大級の人材派遣会社になっている。今年3月現在の晃和グループの事業規模は、本社がある群馬県伊勢崎市のほかに関東(東京、神奈川、千葉、茨城)、東海、関西、九州に拠点を構え、また、グループとして愛知県(豊田市)、千葉県(船橋市)静岡県(富士市)愛媛県(新居浜市)などにもネットワークを拡大している。

「人を大切にする会社」

仕事経験豊かな頼りになる本社社員

 国内のグループ会社は、株式会社晃和、晃和コーポレーション、株式会社サイタケの3社を中核会社に、外国人派遣社員総数は2500人近い。うち80%がブラジル人だ。事業所のネットワーク拠点の機能を生かして全国16カ所で定期的な転職相談や仕事紹介などのイベントなども実施している。
 晃和は、今年9月に丸30周年を迎える。創業社長の斉藤に「この30年とは何だったのか」と聞くと、「この30年間は仕事一筋に一生懸命頑張ってきたことに尽きる」という。晃和がお客様から信用される理由は、「人を育てることを第一に、創業以来積み重ねてきた約束を守り納期を守ること」だった。
 派遣社員の受入れ職種は食品業界が多いが、事業が全国規模になった理由は「2008年のリーマンショックで群馬県の求人市場が縮小したので、紹介ルートで徐々に市場拡大を行った結果、事業が全国化していった」結果だという。
 ここまで同社が成長し発展してきた大きな理由の一つは、創業以来、晃和の社員と人材を育ててきた斉藤の人材育成策が大きい。その結果、現在の規模に成長したと言える。
 同時に日本には外国人労働者の人材斡旋会社が数多くある中で、多くのブラジル日系従業員が晃和グループで働く理由を「人を大切にする会社の方針で、従業員には自分の経験をプラスにしてそれを活かせる教育をしている」。
 それは『Team Work-Kowa』として人と企業を結んでいる。南米ブラジルとペルーを中心とした定住者と永住者及び日本人へのアプローチを行いつつ、各地域ごとに寮や社宅を準備し、国内移動者や入国者の生活支援など、斉藤の考え方を反映した手厚いバックアップを行っている。
 特に重視しているのは、管理やサポートをしっかり行っていることだ。それにより、お客様ニーズに応えて信頼を得て、加えて従業員からの信頼も得ることができた。結果としてお客様から別のお客様が紹介される、従業員から別の従業員が紹介される、という好循環が生まれた。
 斉藤は「誠実に、信用第一に取り組んでおり、特別なことは何もやってない」と気負いなくこう言った。コロナ禍の影響が派遣社員に与えている影響については、「自動車関係や食品も一時期影響を受けた。特に業務用食品分野はかなり悪かった」が、今は全体の仕事量が回復傾向にあるようだ。

来日までのアマゾン生活と日本語

 パラー州都べレンから約200キロ離れた場所にある日系移民がつくった有名な移住地「トメ・アスー」で1967年に生まれた。父・ケイイチは18歳で1955年に山口県から移住し、母・エイコは1954年に14歳の時に家族で宮崎県から移住した。
 斉藤も多くの移住少年と同様に、13歳から家計を助けるために授業が終わった後にパパイア生産農家の集荷手伝いで2年間働いた、その後17歳まで高校に通いながら農家だった我が家の農作業を手伝う。
 日本行きに関しては、22歳の時に「日本にデカセギにいきたい」ことを両親に告げた。しかし家族や友人たちの親、当時の上司に至るまで皆そろって大反対した。
 「将来の生活が保障されている今の恵まれた職場を放棄してまで日本に行くこともないだろう」。斉藤はこうした声を振り切って日本行きを実行した。来日目的は「日本で2年間稼いで、その貯めた金をブラジルに持ち帰り商売をしようと思っていた」。
 しかし「この働いていた人材会社の仕事が、自分の人生観に合っていた」という、いわば天職との運命的な出会いだった。それが人生の転機につながった。「小さい頃は自分が日本に来るとは思わなかったし、日本語が必要になるとは考えてもみなかった。しかし今は親からいつも『毎日日本語を話しなさい』」と言われ続けたことに感謝する日々を過ごしている。
 22歳で来日して現在54歳、働き盛りの年代を迎えている。ブラジルの青年時代に経験してきたことは、先ず17歳から18歳まではベレンの養鶏場向け飼料販売の顧客営業を行い、「顧客折衝の基本である顧客をよく知り相手に応じて話し方を工夫することなどを学んだ」という。
 18歳からはブラジルの民間大手銀行であるブラデスコで3年間働き「銀行の経営理念から仕事への取組み姿勢まで実務業務を通じて接客の心得を学んだ」。21歳から22歳までの1年間はアマゾナス州・マナウスにあるホンダのオートバイ生産工場で働いた。
 斉藤はこう語る。「飼料販売時代も銀行勤務時代も多くのことを学んだ。特にブラデスコ創業者の考え方や経営理念などは、いまも自分の行動のベースになっていると感じることが多い。ホンダでは労務管理、品質向上策、納期厳守などの、日本式のモノづくり文化・心得、業務に関する日本語の習得、日本の会社のエチケット・マナーも体験し、日本で仕事をする上で大きなアドバンテージとなった」。
 この「3社の勤務経験が現在の晃和の発展に繋がっている」という。

「3者共栄」が経営哲学

社外イベントの就職説明会での晃和メンバー

 日本に来て、最初の8カ月間は工場の生産ラインで仕事をした。その後派遣会社の管理者、統括管理者を経て独立に至った。その間、数々の苦労を耐え忍んできたというが、それを糧としてエネルギーに変えられたことが今に繋がっているのであろう。
 会社としての根底には、派遣型労働市場への参加を通して、発注先の期待に最善を尽くして応えていくという。創業以来、信用、謙虚、誠実、迅速、納期厳守など日本の伝統文化が貫かれている。大企業で学んだことを生かして『社会に役立つ会社―晃和グループ』として明確な使命感と責任をもって仕事に取り組んでいる点も評価できよう。
 この晃和グループの発展を支えているのが、取引先・従業員・晃和の3者が一体化して発展する、共存共栄をモットーとした経営理念で会社の使命に基づいた職務に励んでいる。
【経営理念とは】
・社会に貢献し社会で必要とされる会社づくり
・常にさらなる『安心と信用』の向上に最大限努めること
・アフターサービスの徹底・取引先・従業員・晃和グループの3者は『一つの舟の中でやっている』、常にこの3者の最適な共存共栄に務めること
・コンプライアンス法令重視で取引先から万全の信頼を築くこと
【会社の使命とは】
・優れた人材をいち早く提供することで企業の生産体制をバックアップ
・晃和の人材派遣利用メリット、 必要な人員を必要な時にスピーディに確保できる
・契約期間中に社員が退職した場合は迅速に交換要員を手配
・受注後1~3週間で就労でき、一時的な生産増による人材不足を解消できる
・社員は就労ビザをもつ日系人で5~10人を最小単位に日本語の話せる者を配属した就労
・(取引先にとっては)募集費用等に関する経費の節減ができる
・従業員教育の時間と手間を省略でき(取引先)担当者の業務が削減できる
 創業者・斉藤の経営心得とは「市場調査と情報分析に基づいた計画立案」「仔細な事業計画に沿った具体策の実行」「納期厳守とアフターサービス」「謙虚さと信用」「失敗から学び将来に活かす工夫」。
 これまで失敗は数えきれないほど多くしてきたが、それを繰り返さないようにすることで、将来への教訓としてきた。常に未来志向でやってきた。安定と着実を重視する経営を行っている。
 日本とブラジル両国の文化を熟知する立場から、取引先や自社社員との対応、人事や管理、営業。これらの経験を活かして目に見えない独自に築き上げた経営力は確かなものだ。
 現在、在日ブラジル経済団体である在日ブラジル商業会議所で北関東エリア委員会委員長の職にある。

今後の日伯関係を語る

 今年創業30周年の節目の年を迎えるが、今後30年先までの見通しについて聞くと、「この晃和が、またこの業種が残っているかどうか。日本社会がどうなっているかどうか、混迷の時代到来を視野に入れておく必要がある。日本繁栄の時代は過ぎ去り、労働力市場における外国人労働者の比重と存在が一段と増しているに違いないと予測している。
 一方でブラジルから日本にデカセギに来るという時代から、日本からブラジルにデカセギに行くというシナリオも考えておかねばならないだろう」と日本の将来について強い危機意識を持っている。
 さらに「日本におけるブラジルの存在感と役割が増し、今後、社会と経済分野を中心に、いままで以上に日系人への期待が高まる時代に入っていると思う」と予想している。ブラジルの豊富な資源と日本の高い技術力の融合を期待しているようだ。
 取材の最後に斉藤は、「この仕事には向き不向きがある、私の場合向いていたので人材派遣業に一生を捧げることになった」。そしていまそれを実証するように行動力と実行力がにじみ出る会社の指針を掲げた業務を行っている。『アクティブな経営戦略で21世紀を生き抜くフィーチャリングカンパニーを目指す』ことだ。
 晃和の将来について「取引先・従業員・晃和と3者の共存共栄が続く限り、日本とブラジル両国の社会に役立つ事業としてその務めを果たしていきたい」と結んだ。(文責=カンノエージェンシー 菅野英明)


社会から必要とされる事業を展開します

斉藤ネルソン和浩社長

 欧米で生まれた人材派遣ビジネスが日本に上陸したのは、1960年代後半のことですが、1986年の労働者派遣法の制定・施行を契機として成長段階に入った新しいビジネスです。(株)晃和は1991年に群馬県伊勢崎市において業務を開始して以来、徐々に業績を伸ばし、多くの企業様より信頼をいただいております。
 その背景には、ただ単に人材不足に対する労働力の提供だけではなく、根幹にある『社会の問題点を解決し、社会から信頼・必要とされる事業を展開する』という企業理念によってご支持をいただいているものと確信しております。
 時代の変化とともに、経済成長を支える要因のひとつであった終身雇用制が実質的に、崩壊しつつある現在、日本でも人材の流動化が急ピッチで進んでいます。あらゆる業界において派遣社員の需要が増大している中、2025年問題(労働者不足及び高齢化)にも中長期的なスパンでいち早く対応いたします。


数年先を見通せる先見性

 自ら稼いだ金を元手に会社を創業したが、当初の1、2年目は地盤と看板なしで大変だった。3年目から仕事が来るようになり経営が軌道に乗り始めた。丸2年間は自己資金だけやっていけるメドを付けてからの創業だった。経営者として数年先を見通せる先見性が功を奏したのである。


人気の秘密は聖市に支社

 日系ブラジル人が晃和グループの契約社員として働く理由の一つは、(コロナ禍の影響でいまは休業中だが)サンパウロに晃和直営の全伯規模の採用センターをもっていることだ。社名は「ALワールド社」で2004年に設立。毎月20~60人を日本で採用している。デカセギ日系ブラジル人の間では知名度と信頼度は高い。留守家族もリアルタイムで本人の動向確認ができ安心感がある。


カスタニャールでも商売繁盛

 いまもコロナ禍で大変なブラジル北部のアマゾン川河口にあるパラー州の州都べレンとその近郊都市カスタニャールで商売を行っている。1996年にブラジル法人を設立。ガソリンスタンド、コンビニエンスストア、ファーストフード店を経営し合計で10店舗以上を運営している。
 現地の責任者は弟のユウジと義弟のセーザルで、1年以上続いている厳しいコロナ禍と生活環境の中で商売を行っており、25年以上にわたり兄の斉藤をしっかり支え続けている。家族愛に支えられた日本の斉藤家とブラジル斉藤家のきずなは強い。

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