ホーム | 文芸 | 連載小説 | 私のシベリア抑留記=谷口 範之 | 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(10)

自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(10)

  三、蒙古系住民の好意

 トラックに戻り辺りを見回す。路より少し離れた木立のなかに、土壁の貧しげな家が数軒見受けられた。その家々から数人の人影が出てきた。老人ばかりである。小柄で蒙古系らしい容姿である。長老らしい老人が
「ヤポンスキー?」
 と声をかけてきた。
 うなずくと彼らは家に戻っていった。再び出てきた彼らは手に手にパン、チーズ、ビスケットなどを持っていた。それらをトラックのわれわれに投げ入れてくれた。一口づつしかなかったが、彼らの好意が大変嬉しかった。
 お礼替りに『円座に星』の候補生の襟章と階級章を引きちぎって、老人に手渡した。彼は顔をクシャクシャにして喜んでくれた。
 トラックは再び動き出した。進むにつれて寒さが強くなる。空腹と行先が分からない不安が、トラックの揺れとともに次第に増大してくる。
 太陽は頭上をこえて右に移っている。だが予想に反して、風の冷たさは強くなるばかりであった。

  四、雪中の野営

 夕方近く山中の平地に設営された大テントで一泊することになった。寒風に吹きさらされて、躯全体はしびれて冷えきっていた。
 毛布を躯に巻きつけて、テント内の草の上に横たわる。しかしテントの裾から吹きこむ寒風と飢えのために疲れきっているのだが、寝付かれない。毛布を頭から被ってみるが、寒さから逃れようがなかった。夜半から吹雪が荒れ狂い、テントの裾から雪が舞いこんできた。痛くて痺れるような寒気に、全身が包まれてしまった。
 長い長い一夜が明けた。大テントの中は、舞いこんだ雪で真っ白になっていた。頭から被った毛布の縁は、白く凍っていた。太陽が顔を出したが、昨日のように暖かくない。風が冷たいのだ。左側の白壁の大きな建物の前を通り過ぎる。コルホーズ(集団農場)の集会場らしいと、誰かが言うのが聞こえた。

  五、モルドイ村の共同浴場

 午後遅く着いた集落がモルドイ村であった。村の入口に向かって右側に、高い煙突のある大きな建物が見えた。村に電力を供給する火力発電所で、近くに発電所用の炭鉱があるという。
 集落の中央辺りにトラックが停り、捕虜たちが降りた所は村の共同浴場の前であった。垢を落としてさっぱりしろということらしい。こちらは垢落しよりなにより、飯の一杯でも食わしてほしいのだが、ソ連兵の考えには食事のことなど全くないようだ。
 サーゼント(軍曹)が、二人挽きの錆び付いた鋸と、長い枯木を担いできた。手真似で二人の捕虜に、五〇㎝の長さに切れと言った。二人は向き合って鋸を挽きはじめたが、五分もたたないうちに顔色を蒼白にして止めてしまった。空腹のために息があがったのだ。
 憤然としたサーゼントは、すぐ傍に立っていた私と隣りの兵を指差して、交替しろと身振りをした。代ってやってみたが、私たちもすぐに息があがって止めた。
 鋸が通ったところに筋がついただけである。怒ったサーゼントは部下の一人を呼びよせ、自分たちで鋸を挽いた。一㎝位鋸が食いこんだところで、彼らも息がきれて止めた。

image_print

こちらの記事もどうぞ