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日本移民110周年=サントス日本語学校の完全返還=ようやく訪れた「本当の終戦」=(6)=動き出した歴史見直しの歯車

屋比久トヨ子さん(84、二世、『群星』第3号より)

屋比久トヨ子さん(84、二世、『群星』第3号より)

 2000年代に入ってから、急に歴史見直しの歯車が回りだした感がある。もちろん、上さんが会長を辞めた後のサントス日本人会の幹部の働きは大きい。04年からの遠藤浩、土井紀文セルジオ、関谷忠機アルシーデス、安次富ジョージ、そして現在の橋本広瀬春江マリーゼという歴代会長だ。二世の中井貞夫氏は、この運動を進めるために市議にまでなり、政治家に働きかけた。それらが一体となって功を奏し、初めて実現した。
 特筆されるのは、会長補佐としてサントス日本人移住の歴史をまとめた大橋健三さんだろう。その調査が、会館返還へのしっかりとした足がかりになったことは間違いない。そして、大橋さんがサントス強制立退き者の名簿を、2016年に取材に訪れた沖縄在住の映画監督の松林要樹さんに手渡したことで、新しい歯車が動き始めている。
 松林監督はすでに10人以上のサントス強制立退き者を取材しており、ドキュメンタリー映画を作ろうと必死になっている。その名簿から掘り起しが始まった。その時に撮影した体験者のうちの数人はすでに他界してしまった。故人のためにも、ぜひとも完成させてほしいと願っている。
 今年に入ってからの動きで最も大きなものは、戦争前後の日本移民迫害に対して損害賠償をともなわない謝罪請求訴訟を連邦政府に対して起こしている奥原マリオ純さんの運動に対し、ブラジル沖縄県人会(島袋栄喜会長)が4月19日の定例役員会で支援する事を全会一致で決めたことだ。
 もちろん、決め手となったのは、サントス強制立退き者の60%以上が沖縄移民と子孫だったことだ。故郷と気候が似ていることもあって、サントス港付近には荷卸し作業者や漁業者としてたくさんの沖縄県系人がいた。役員会でその件が提起されると、大半が「自分の両親もそうだった」「親戚の中にいる」と名乗り出て、一気に決まった。
 沖縄県人移民塾同人誌『群星』第3号(2017年10月刊行)では、松林監督が見つけた名簿と共に、強制立退き者4人のインタビューを掲載した。
 証言者のうち屋比久トヨ子さん(84、二世)の姉の話は最も心に残った。強制退去命令がでたとき、姉の夫はたまたま不在。再び夫に会えるのかという不安を抱たまま、姉は子ども二人を連れて、それまで営々と築いてきた家財一切を投げ捨て、サンパウロ市行きの列車に載せられた。
 《私の一番の苦しい想い出は、姉があの事件のショックで恐怖症を患い、生涯、精神障害で苦しんだことです》(145頁)と書かれている。この体験×6500人分の怨念が込められている謝罪請求運動だ。(つづく、深沢正雪記者)

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