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散り際の美学=聖市在住 脇田 勅(ときお)=<6>

 イギリスの哲学者カーライル『罪の何たるかを知らないより大なる罪はない』と書いています。この名誉会長には自分の行為に対する罪の意識も自責の念も全くないのに、おどろくばかりでした。名誉会長の制裁について決議に移る前に、彼の友人の一人から「情状酌量の余地はないのか」という質問が出ました。
 それに対してわたしは次のように説明しました。「寛容と忍耐は一般的にいって人間の美徳です。しかし状況によっては悪徳にもなります。指導的立場にある人が悪事を働いたことに対してまでも寛容の精神を発揮して、じっと耐えつづけることは美徳でもなんでもありません。これは悪事に加担するようなものであり、この場合、寛容と忍耐はそれ自体悪であります。このような理由で情状酌量の余地は全くありません」
 さらに中国の古典『史記』には、『断に当たって断ぜざれば、反ってその乱を受く』という言葉があります。これは処断すべきときにしておかないと、後で反ってその災害を招くことになる、という教えです。わたしは悔いを千載に残さぬよう、この教えに従うことを決断しました。
 名誉会長の処分について、理事の無記名投票による採決の結果、名誉会長の解任を賛成多数で可決しました。名誉会長はわたしが県人会長として叙勲の申請書を提出して叙勲の栄に輝いた人です。
 しかし、過去においていかに正しい行いがあっても、一たび晩節を失えば、前功は無となります。自業自得とはいえ、この悪意に満ちた手紙一本のために、彼の晩節は恥辱にまみれたものになり、晩節を全うすることができなかったのです。
 名誉会長の造反という不測の事態で会館建設計画がとんざをきたし、そのため県人会が混乱しました。わたしはこの混乱の責めを一身に負って、かねてからの信念に従って会長辞任を決断しました。
 トップの責任の取り方について、わたしは次のような見解を持っていました。トップの責任について忘れてはならないことは、理由の如何を問わず組織に混乱が生じた場合、その混乱の収束と組織運営の健全性維持のために、自らの責任をとって辞めるのがトップとしての常道である、ということです。組織に混乱をきたしても引責辞任をしないというのは、日本人の認識からしても明らかに乖離(かいり)していると言わざるをえません。
 ところが、〝トップの引き際は潔く〟と分かってはいても、いざその時になると執着心が出て、凡俗の人間にはなかなか『終わりを慎しむ初心のごとし(葉隠)』とは簡単にいかないものです。他人の引き際のタイミングは察知できても、利欲の苔にからまれている自分の引き際は見えないのです。自分を良く見せたいと思ったり、あるいは保身に走ると、その瞬間に大切な土壇場での決断を失敗します。
 トップの進退は孤独な決断です。決断を謝らないためには、我欲をなくさなければなりません。そのような事情から、わたしたちの周辺を見回すと、問題を起こしても自分の地位や権力にしがみついたまま、手を放そうとしない人たちが如何に多いことか。
 トップに求められるのは引き際の美学です。引き際は人さまざまですが、見事な引き際は男の美学と言えます。きっぱりと出処進退を決めて行動するのが男の美学だとわたしは思っています。トップという権力者の人間性は、引き際に凝集して表現されるものです。
 次に、内橋克人著『退き際の研究』の中にある、太田垣士郎の社長辞任についての記述を引用します。『一九五九(昭和三十四)年十一月、突然発表された太田垣士郎の退陣劇は〝電撃のトップ交代人事〟といわれました。任期半ばで社長辞任、会長に退くことを発表したのです。関西電力の原点、初代会長・太田垣士郎は〝功成れば去る〟の見事な実践者として知る人ぞ知る、の人物であり、いまも畏敬の念をもって語られています』
 この太田垣士郎の退任劇は、ひとたび権力の座についたものは、自らの〝出処進退〟によって後世の毀誉が定まることを深く自覚して事に当たる必要があるということを、わたしたちに教えています。
「人間の出来、不出来が最も端的に現れるのは出処進退である」と、伊藤肇は著書『帝王学ノート』の中に書いています。また、「男は引き際で真価が見える」と先賢は教えています。
 このようなことを日頃から心にとめていたわたしが一貫して追求していたもの、それは『散り際の美学』でした。(つづく)

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