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マヒしたら「死んだほうがまし」か?=高齢化社会と車椅子利用の現実=サンパウロ市在住 毛利律子

国際線搭乗口での出来事

 8月下旬、ドイツのフランクフルト国際空港で、手続きを終えて受付カウンターを離れゲートに向かおうとすると、地上乗務員の一人から「あなたは車椅子に乗るようになっていますから、係員が来るまでここで待ってください」と声をかけられた。
 確かに旅行社から、各空港では高齢者向けの車椅子が用意されているから使った方が良いと言われた。だが、他人事として受け止めていたので「そうね」と相槌程度に答えたことを思い出した。ゲートまでの長い通路を時間の許す限りプラプラ歩くのも旅の楽しみの一つだから、「特に必要ではない」と断った。
 すると、今度も又厳しい顔で「コレハ、コンプライアンス=法令遵守(様々な法律違反により起きる事件事故を避けるために、基本的ルールに従って活動すること)であり、順守しなければならない。しかもあなたはそれを希望すると登録しているのだから乗りなさい。」と言う。
 確かに書類上、私は「利用する」と選択していた。間もなく、金髪で背が高くがっしりとした体格の青年が車椅子を二つ押してやってきた。この人が二つの車椅子を同時に押すことは違反でないのだろうかと思いつつ、生まれて初めて国際空港の長い連絡通路を、隣の上品なドイツ人の老婦人と共に、車椅子でゲートに向かう初体験をした。

車椅子利用の是非

車椅子(参考写真)

車椅子(参考写真)

 世界の各空港国際線の連絡通路は規模に応じてかなり長い。ムービング・サイドウォーク(歩く歩道)が併設されているが、ウィーンもフランクフルトの通路も長かった。
 頑強な青年に押された二台の車椅子は通路の人混みの間を抜けていく。特に免税売店の前は人だかりで混雑していた。車椅子からの目線は成人の腰のあたりにある。人は後ろからくるものに対してほとんど無頓着なので「通りま~す」と背後から声をかけられて振り向いた時の眼は意外にも緊張を孕んでいる。
 行き交う人はどうしても見下げる眼つきになり、こちらは見上げて、相手にすまないという表情をしているであろう。きっと強ばった顔をしているのかもしれない。
 そこには一瞬にして、互いの気遣いが働く。車椅子というと、すぐに身障者のための車を連想するために、規則とはいえ健常者が利用するのに、ためらいが生じるのはやむを得ない。
 ゲートに着き車椅子から下りた私は、ちょっと歩き回りたいと思ったが、おとなしく待合の座席に座ることにした。
 ぼんやりと飛行場の景色を眺めながら、時十数年前に知人が特養老人ホームに入居した時のことを思い出した。その女性は夫に先立たれた後、恵まれた環境で一人暮らしを楽しんでいたが、ある日脳梗塞を発症し、それまでの人生が一変した。二人の子供は結婚して家庭がある。二人に面倒をかけたくないという強い思いからホームに入居した。そのホーム探しを手伝ったとき、全てのホームの契約書に同じ条件が提示されていた。「館内での生活は基本的に車椅子」である。
 それは安全を守るためだというが、穿った見方をすると、入居者の自由行動を拘束することに他ならないのではないかと感じた。性格の違い、様々な症状を抱えた高齢者に一律の介護を施す施設の運営では、このような制度が必須なのであろう。
 彼女も一時は新しい環境の中で友達もでき、至れり尽くせりと喜んでいたが、見舞いに行くたびにどんどん衰え、部屋に閉じこもって日々悲嘆と愚痴、不満を繰り返し、無表情、相手を責める様な眼つきをするようになっていった。そういう姿に接するのは非常に哀しかった。
 昨日までの自分とは違う身体の変化とともに、人はどのように生きて、周囲や、社会的制度に適応していったらよいかを世に問うた一冊の本がある。

マーフィー博士・車椅子生活からの伝言

『ボディ・サイレント―病いと障害の人類学』 (SS海外ノンフィクション)ロバート・F. マーフィー著、辻信一訳 海原書房

『ボディ・サイレント―病いと障害の人類学』 (SS海外ノンフィクション)ロバート・F. マーフィー著、辻信一訳 海原書房

 アメリカの文化人類学者、ロバート・F・マーフィー博士(1990年没)は、アマゾンやアフリカで人類学の研究調査を行い、コロンビア大学で博士号を取得。同大学人類学部の学部長を務め、優れた研究者、教育者として死亡する数年前まで同大学で教育に携わった。
 博士の著書、『ボディ・サイレント(沈黙する身体)――病いと障害の人類学』は、自らの全身が麻痺し始めた時から16年間、死の直前まで自分をとりまく社会との緊張した関係を調査研究し、綿密に記録したドキュメンタリーとして遺した。それは人類学者による最初の本格的な身体障害の社会論であり醜老病死を排除する現代社会への抗議の文化論といわれている。
 1972年のある日、博士は肛門の不気味で奇妙な痙攣に気付く。それは脊椎に出来た腫瘍によって神経系が徐々に破壊されるという死に至る病であった。この本が書かれた1986年ごろには博士の身体は四肢がマヒし全く動けなくなってしまう。
 それはやがて博士が、「自分の身体は欠陥の多い生命維持装置で、只頭脳を支えるためだけに存在している」と思わせるようになった。生身の人間がある日思いもかけない病に見舞われ、自分では動かせない身体と共に生きていくことになる。この現実をどう受け止めるか。
 ここではその中から身障者と車椅子生活に言及した部分のみを引用して紹介したい。

身体がマヒしたら「死んだほうがまし」か?

聴診器と問診票(参考写真)

聴診器と問診票(参考写真)

 ある日、博士は妻のヨランダとある官庁を訪ねていた時、それほど重くない脳性麻痺にかかった一人の若い役人が、車椅子に乗って入ってきた。その顔は涙で濡れていた。
 彼の説明によると、同じ階で働く他の課のある男が同僚に向かって、身障者である彼について、こんな風にいうのを聞いたのだという。「僕なら生きてないね。死んだ方がましだ」。
 彼の嘆きを聞いた博士の心の内にいくつかの疑問が湧いた。その同僚の男は、なぜ本人に聞こえる様なことを言ったのか? 身障者の若者はなぜその言葉に大きな衝撃を受けたのか? なぜこの私でさえこんな嫌な気分になるのか? そして、これは特に大事なのだが、果たして本当に一個の人間が「死んだ方がまし」だということがありうるのか?
「生というものは何によって成り立っているのか」。この問いかけが、この書に一貫して流れるテーマである。
 人間の社会は無意識に優性思想にまみれている。身障者は「劣性」の階層に置かれる。2016年7月26日、神奈川県相模原市緑区にある、神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で、元施設職員が起こした事件は、まさに知的障害者を「劣性」と決めつけた鈍感、偏見、愚かさなどの結果の凄まじい事件であった。
 医療倫理学という分で紹介されたエピソードがある。現在のような身障者への制度が改善される以前のことであるが、生まれた子供が重度の脳性麻痺であった母子の話である。
 出産時、それを知った家族は大変混乱し、結局母親は離婚され女手一つで育てることになった。母はすべての親族関係を断ち切った。寝たきりの子の身体は日々成長していくが、母親は年々老いていく。将来を悲観した母親は重い車椅子を押しながらこのまま線路に飛び込もうかと考える。
「私が死んだらこの子はどうなる」という思いは常に頭を離れない。疲れや煩わしさから、時折、子に向かって激しくののしり、悪口をぶつけた。頭や体を叩くこともあった。
 或るとき、「やはり死んだほうがましだ。この子のためにも、自分のためにも」と思い立って、子供を車椅子もろとも玄関前の階段から突き落とそうとする。その時のことだった。子は今までに発したことのない奇声をあげた。
 そして必死に口を動かしている。あまりの形相に驚いた母親がその口元に耳を寄せると、「おかあさん、生きていたい。生きたい…。」と必死に訴えている。母親はその場で泣き崩れた。「私はこの子は何も知らないと思い、さんざん悪口を言い感情のままに残酷なことをしてきた。しかし、この子は全部分かっていたのだ」
 悔恨の念に堪えられず母親は医療機関に相談した。すぐに市が動き、当時発売されたばかりの電動車椅子などを購入し生活を支援した。息子はそれから5年ほど後に肺炎で亡くなった。

リハビリを受ける男性患者(参考写真)

リハビリを受ける男性患者(参考写真)

 車椅子に乗ったマーフィー博士の調査結果は著書に詳細に述べられ、また深く感銘する記述が溢れているが、次に一つだけ要約して紹介したい。
「博士は、自分の身体の自由が失われることに敏感であったが、自分では障害者と思わずに振る舞った。しかし、周囲は博士の障害者としての存在に周囲の人(特に同僚)が慣れることができず、そこから生じる気まずさから遠のく人も多くなった。このことから、博士自身も変わらざるを得なくなった」
 これはどういうことかというと、私たちは身体障害を持った人に偏見を持ってはいけないということを知っている。しかし、直に顔や手足が変形しているのを見るとハッとし、特にそういうことを教えられていない子供は大ぴらに驚き感情をあらわにする。
 それは、時に陰湿ないじめになる。自分と異なる身体に対して、その人を避けるか、手ひどく虐めるかになる。
 身体が不自由になるということは、自分が望んでなることではない。また時折、身体が不自由であることが知恵遅れだとみなされる。障害者の前には五体満足の人々のために築き上げられた身体的環境が立ちはだかり、社会全体に固定した概念のために互いがねじれて通常の関係を作ることが難しくなる。

高齢者と車椅子利用

 この状況をすべて高齢化社会に置き換えてみよう。
 高齢化社会といっても、80歳代、90歳代になっても元気な人もいる。しかし、多くの人にとって、まぎれもなく「老化」とは年とともに様々な不都合を抱え込むことである。
 たとえ精神的に若々しく、判断力も優れ、仕事もバリバリできる人でも、社会的には「高齢者」というカテゴリーの枠の中に入れられ、社会は陰に日向に「後進に道を譲る」定年退職をもって高齢者をそれにふさわしい場所に移動することを強制する。
 高齢化社会においては「車椅子は障害者のためだけ」にあるのではなく、「老いることは何らかの不便を持ちながら生きること」であるから、今日、当該年齢に達した人は公共の場では、安全のために車椅子が用意される世の中になった。
 長生きすることは心身に程度の差こそあれ、障害を得ることになる。本人も周囲の人々も容易に納得できない、受け入れられないとしても、すでに社会全体が様々な「老人向け」の制度を設けている。「老人」はそれに素直に従わなければならない。
 公共の場での車椅子利用は「社会と高齢者の安全を守るため」と言われれば、自分の足で歩けますと思っていても、頑張らずに「老いては子に従え」と、車椅子体験をしてみようか。
 また新たなことを学ぶかもしれない。


【参考文献】
◎『ボディ・サイレント―病いと障害の人類学』 (SS海外ノンフィクション)ロバート・F. マーフィー著、辻信一訳 海原書房

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