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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(53)

 そんな彼はいかにも手に負えない兵隊に思えたが、こうして身近に接していると、意外にも好人物であることが分かってきた。一見ぎょろ目で髭は濃く、取り付きにくい感じなのだが、たまに冗談を飛ばしたりして、いつとはなしに仲良く行動を共にしていた。
 保坂さんは志願兵仕上がりの伍長で、モルドイ村から伐採に応募した時の班長であった。温和しい人柄で、私は好感を持っていた。グループの人間の増減は激しく、いつの間にかモルドイの仲間たちとは、離れ離れになっていた。なぜそうなるのか、命令された記憶はない。
 季節は夏に変わっていた。毎日、小川に飛び込み、流れに身をまかせ、汗や垢を擦り落としていた。暇を持て余すとはこのことかと思う毎日であった。この収容所には五千人位いるとか、西海岸の平壊には、二万人も日本兵が捕虜になっているなど、どこからかそんなニュースを仕入れてくるものもいた。手術用の小鋏を隠し持っていたのを取り上げ、小川の傍で散発を始めた。お互いにやり合うのだが、なにしろ鋏が小さく、頭髪は伸び放題になっている。絶えず手許が狂い、お互いに頭皮と髪を切ったりして、わいわい騒ぎながら楽しんでいた。 
 そこへ、一五歳位の少年が二人来て、騒いでいる私たちを珍しそうに見物している。志願兵でもなさそうである。呼び寄せて
「何歳だ」
「はい、僕は一五歳で、こいつは一六歳です」
 と、もう一人を指さす。
「部隊はどこだった?」
「はい。自分らは満蒙開拓青少年義勇軍の一面波訓練所におりましたが、逃げ遅れてシベリアへ連れて行かれました」
 青森県の出身で、純朴そのものである。こんな少年がよくぞ生き延びたものだ。ラーゲリでは、いいようにこき使われたはずだが、擦れっからした様子は全くない。
「散髪してやるから、そこに座れよ」
 と、いうと、素直に
「お願いします」
 と座った。頭髪は多くて固い。そして伸び放題だから小鋏はうまく運ばない。散髪の間中、数え切れないほど、痛い、を連発して、その度に文句を言うな、と小突かれていた。 
 それでも十数か所頭皮ごと髪を切ってもらうと、「ありがとう」と、礼をいい、ニコニコしながら去った。後姿を見送りながら、思わず
「生きて帰れよ」
 と、呟いた。

  五、野戦式仮設病院
  
 収容所内を歩き回っているうちに、大テント、中テントが並ぶ広場に行き当たった。大テントを覗くと、びっしり並べられた簡易ベットに、患者がひっそりと横たわっている。次のテントも同じだった。
 中テントでは日本の軍医が、亡者のように痩せ衰えた患者に聴診器を当てていた。入口には、体が樽のように腫れた患者が、担架に乗せられたまま、地面に置かれていた。反対側には、骸骨に皮を張りつけたような患者が、やはり担架の上に横たわっていた。皮膚は黒ずんでいる。
 体中が腫れている患者は、皮膚が真っ白であるがよく見ると、睫毛の根本に、白い蝿の卵が、一個づつ産み付けられていた。二人とも生死は見分けられなかったが、わずかながら息はしているようである。翌朝まで生きているだろうか。日本では家族がどんな思いで帰国を待ち侘びているのだろうと思うと、胸が痛くなった。

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