ホーム | 文芸 | 連載小説 | 私のシベリア抑留記=谷口 範之 | 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(73)

自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(73)

(三)ブラジル日系文学誌の選者の一人の評について
  
 ブラジル日系文学№二六(二〇〇七年七月)に、体験記として『私のシベリア抑留記』が掲載されたが、これは編集者に乞われたからである。原稿用紙三〇〇枚を三五枚に縮めての記録だから説明不足が随所に現れている。ではなぜ、歴史になっているシベリア体験を発表する気になったか。
 このことを通じて、未だに凍土に埋もれたままの多くの兵士がいる事実を一人でも多くの人たちに知って頂ければ、供養の一端につながるのではないかと考えたからである。
 その抑留記について、一人の選者は次の選後評を書いた。
=どこかでブラジルとの接点がなければ、当地で発表する意義がないと考えます。特に小説欄では=
 選者は頭から小説として取り上げている点で、シベリア抑留を知っていない。当地で発表する意義がないのであれば、原稿を読んだ時点で編集者に何故取りあげるのかと、問いただすべきであるのにそれを怠っている。
 さらにシベリアで痛恨を残して斃れ、死んだ兵士への哀悼の心すら持ち合わせていない。そのことで私はやり切れなさを覚えた。
 さて当地では数少ない交遊の方々から、大変な目に遭ったんだね。お国のためとはいいながら、死なれた方たちはお気の毒でたまらない、と言う心情あふれるお言葉を頂いた。凍土に埋もれたままでいる戦友は、もって瞑すべしと、胸のつかえがおりた。よって付記する。

  (四)重度の栄養失調症と変形性腰椎症

 飢餓線上をさ迷い、音さえ凍る酷寒と強制労働に耐え、灼けつくような望郷の思いに苛まれた抑留の日々であった。
 極限を超えた絶望の果てに、さらに絶望が待ち受けていた現実を躯中で味わいつくしたが、早期帰還と抑留二年目ぐらいから、全ラーゲリを嵐のように席巻したという民主主義運動に巻き込まれなかった幸運に恵まれた。
 帰還後、広島市の赤十字病院で受けた健康診断は次のとおりであった。
『重度の栄養失調症。できる限り栄養価の高い食物を摂り六年~八年の静養が必要』
 しかし現実には出来る相談ではなかった。入隊時五八㎏だった体重は、四十㎏に減っていた。
 数年後体重はほぼ五一㎏までになったものの、抑留時の伐採で若くして変形性腰椎症になり、最初は絶え間ない痛みが続き、それから生じた骨棘(ビッコ・デ・パパガイオ)からくる激痛に一〇年間苦しんできたが、ごく最近から医学書に書いてある通り、だんだん固まってくると、痛みが軽くなる症状に移ってきたようである。

image_print

こちらの記事もどうぞ

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(72)2018年11月2日 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(72)  彼は私が遠いブラジルからわざわざシベリア墓参に参加したのは、同時にあの当時の仕返しをするためではないかと勘繰り、絶えず私の動向を見守っていたのだ。だから訊ねもしないのに小之原が死んだことや、モルドイ村からノーバヤに移った後は、将校も部下と同じように働いたんだと、喋った。そして […]
  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(70)2018年10月31日 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(70)  夕方握り飯を二個支給され、隊列を組んで緩い坂を上がったところに駅があった。ここで東さんと惜別する。彼は別の車輌に乗車することになったのだ。一旦田舎の父母の下に帰り、善後策を考えるということだった。  保坂さんと戦友二人の四人が、向かい合って腰をかけた。鳥栖駅で愛国婦人会の襷 […]
  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(71)2018年11月1日 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(71)  私はあの夢と同じように、裏へ回って勝手口の戸を開けた。台所の板の間に両親は並んで行儀よく座り、私の帰りを予期していたかのように私を見つめた。二年の間に、すっかり老いてしまった両親の頬に涙が流れた。   夢で見たとおりであった。  夢では母は私の好物の特大の厚焼卵を作ってく […]
  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(68)2018年10月26日 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(68)  ソ連軍将校の中には日本語を私たちより上手に話すものがいる。彼もその一人で連れの将校も、理路整然と語った。東さんがみんなを見回して言った。 「俺たちが生きて帰ってこそ、死んだ戦友たちの霊も浮ばれると思うが、みんなどうだ」  全員黙ってうなずいた。しかし翌日私たちは第一船から […]
  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(69)2018年10月30日 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(69)  灯りの向こうの暗闇に故郷の山川があらわれて、よくぞ生きて帰ってきたと、語りかけてくるようであった。真冬の日本海上、灯りが見えなくなるまで佇ちつくしていた。吹きつける寒風を暖かく感じながらー。  生涯を通じ、これほど強烈な感動を覚えたことはない。   二五、遂に故国の大地を […]