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コロニア語考=移民の知恵=中田みちよ=(4)

ジャブチ賞を受けた『NIHONJIN』

ジャブチ賞を受けた『NIHONJIN』

 選集②を編集した清谷益次はこう解説しています。
「この時期は古い移民(準二世など)が、創作に勢いだった時代でもある。彼らの小説を書こうとする意識の底には自らが経てきた理不尽(自分意志によらず運び込まれた環境とそこで余儀なくされた生活)な道程を何者かに向かって訴えたい、知ってもらいたい、知らしめたいという渇望のようなものが創作にむかわせている」
 「コロニア文学とは『他国に移住した人間が、そこの異質の環境の中でどう生きたか、生きざるを得なかったか、またそこから形成される人間像の追求ということが求められる文学であるとするならば、作中の人間に、ブラジルに生きる、または生きた人間、つまり〃ブラジル生活者〃としてのリアリテイーのある作品、移住者であるが故の必然の生きざまを描いた作品、ブラジルの風土からでなくては生まれ得ない作品でなければならない』
(多少回りくどいですが)という見識をもって選択したと述べています。実はこれは準2世の清谷自身の述懐でもあるわけですが、この選集②に18歳だった私の処女作「糧」が含まれているのに、驚きました。入選作でもないのに、なぜ掲載になったのか、長い間不可解だったのですが。これで判明しました。
 〃ブラジルの風土からでなくては生まれ得ない作品でなければならない〃という基準で選ばれていたのです。未熟な恥ずかしい作品です。
 この期のコロニア語は、前記の多数回使用されたもののほかに、選集①で忌避された地名や動植物名が収集されています。これは編者の見識の問題であろうと考えられます。前山は研究者であり、②巻以降の編者はコロニア人です。カタカナ語イコールコロニア語としたのかもしれないと、いう推測もできます。
マットグロッソ、クルゼイロ、クリチーバ、コチア、ノルチスタ、パイネーラ。バイアーノ。ロンドノポリス。ポン・デ・アスカール。ブラジリア。パンタナール。
それから、家族関係をあらわす、カザード、クニャーダ、エレ、モッソ、モレーナなど。
 カザードがいれば対語としてカザーダが水面下にはあるわけで、上記の語彙にはすべて対語があり、クニャーダには当然クニャードもあったことがわかります。
 ブラジル移民の特異性は家族移民で、労働力3名以上という条件を満たさない家族は、甥や姪、義妹、義弟、あるいは遠縁の者を家族として連れてきました。ふつう構成家族とよばれましたが、それゆえにまたいろいろな悲劇も生まれました。
 ブラジルの移民を扱ったジャブチ賞受賞作品『にほんじん(注5)』や保久原の『臣民(注6)』などでもこの問題が扱われていています。この構成家族は、後年、ブラジル移民を語るとき回避できない問題として浮上してきます。実際、孤老になった老人の多くは、これら構成家族で来伯したものだ、とブラジル日伯援護協会から発表されてもいます。
 第3巻は1966~1978年間のもので、24編収録され、時間的に12年余にわたります。コロニア文学設立以降、32号の77年の終刊までです。
 第4巻は1980~1995年のもので、25編収録。執筆者は・戦前11、戦後12、二世1です。コロニア詩文学創刊1980年、武本文学賞設置1984年。(余りに長くなるので、③~④巻の詳細は次の機会にゆずsる)。
 さて、少し「ブラジル日系文学」の成り立ちを述べてみます。
 ブラジル日系文学は、1966年の「コロニア文学」に端を発し、10年と後の1977年に一旦終刊となりました。
 要するにお金と原稿不足で行詰まったのです。1980年、それを惜しむ、主に詩歌の人たちが武本由夫を主幹として「コロニア詩文学」を創刊。1999年になってブラジル政府への正式な団体登録を実施したことで改称、「ブラジル日系文学」になり、年3回の発行で、12月現在60号を発行しました。20年になります。(つづく)
《注5》ナカサト・オスカル。「にほんじん」の作者。パラナ連邦技術大学教授。作品はポ語
《注5》オクバロ・ジョージ。「臣民」の作者。第4章「房子」。エスタード紙論説委員。作品はポ語。

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