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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(44)

 樽が以前からグァタパラ耕地に入植している日本人に、団結の必要性を説きにいったおり、不意打ちをくった。
「すでに、準備中です」
 樽と最初に話した男はこういったのだ。
 移民同士の結びつきを強化することが日本人の大きな課題だった。共同体の強化はブラジルで生きる日本人には不可欠で、いま、その時をむかえている。樽には農園の日本人がシマンチュのように思えた。もちろん、沖縄人以外の日本人を含めてだ。
 彼らは樽にその目的を語った。相互扶助の機関をつくる。そればかりでなく、ブラジルの裁判に訴えるにはポルトガル語が話せず、移動や伝達にことを欠いていたからでもある。共同の行事、祝い事そして儀式を行うための建物をつくる。共同体に強制力、仲裁力を備えた一種の組織をもうける。共同体内に良識ある規定を定め、共同生活を営む全てのメンバーがそれに従うようにするためだった。
 それは樽が想像していたよりずっと大規模なものだった。
 この時期、共同体組織の中核となる規約をつくるために、家長や正輝のような若者が、毎晩、より集まって話し合っていたから、内容もみんなの知るところだった。会の名前まで決まっていて、これはごく平凡な「グァタパラ日本人会」という名だった。なかにはあっという間になくなった日本人会もあるが、移民社会の各地の会にはたいてい文化協会という名がつけられた組織があった。
 移民たちは農場主の許可を得て、会の本部を建てるための土地をもらった。そして、一週間分を、たいした長い時間にはならないが、仕事の休み時間を建設にあてた。完成までに5~6ヵ月を費やしたが、その間のすべての休日をあてたのである。建物ができあがると、彼らは誇らしげに「会館」とよんだ。巾4メートル、長さ8メートルぐらいの木材でできた天井の高い質素な建物だった。彼らの家と同じく床は土間のたたき土で両側に窓があった。二枚の幅広いドアで、くさりと南京錠で閉めるようになっていた。ドアの上には仲間の一人が入念に書いた看板が掲げられている。
 はじめのうち、会館は仲間たち共通の問題を話し合ったり、解決したりするために用いられたが、広いスペースでもあり、他の目的にも利用されるようになった。会館が完成して3ヵ月後、初めてのパーティがあった。同じ農場のメンバーの長男とソロカバナ線のトレーゼ・デ・マイオ駅にあるボツカツのソブラド耕地に住む娘との結婚式に使われたのだ。グァタパラ耕地とソブラド耕地は約200キロ離れていた。だから、たった一度会ったきりの、日本人の間でよくいわれる見合結婚だった。新郎の父は息子に嫁をとり新しい一家をもたせようと、ある友人に相談した。その友人は渡伯のおり、年頃の娘のいる家族と知り合いになっていたから、彼は二人を引き合わせる務めをひきうけ、結局、仲人も承諾した。披露宴で仲人は父親より大切な役を果たしたのだった。
 そのことが正輝を奮起させた。
「いまに自分も仲人になってみせる」と自分にいい聞かせたのだった。
 会館には毎日のように開かれる会議に必要な最小限の家具しかなかったので、それぞれの家族は椅子や腰かけをもっていかなければならなかった。食べ物も持ち寄りだった。

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