ホーム | 文芸 | 連載小説 | 臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳 | 臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(46)

臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(46)

「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という箇所の響きが気に入って、ここは特に気持ちをこめて暗誦した。意味がわかったわけではない。
「天壌無窮」とは何のことだろうと自問したが、その答えは得られなかった。
 最後に、起立して「君が代」を斉唱した。
 正輝が参加した愛国心あふれる天長節はグァタパラだけでなく他の集団地の移民の間でも行なわれていた。会館にある小学校が多数の移民が集まって天皇を崇める霊所となっていたのである。学校にはかならず天皇の写真である御真影がかざられ、神道の尊崇の対象ともいえる教育勅語が保管されていた。まさに「学校は神社、天皇は神、経典は教育勅語」だった。
 日本人会と日本語学校は日本人の間に天皇崇拝を普及させるための機関となっていった。ブラジルに向けて出港したとき、すでにこの傾向が現れていたが、その後、日本が軍事的な勝利を果たし、東方に侵略の手を伸ばそうという気運がでてくるとその傾向はさらに顕著になっていった。
 おもしろいことに、学校での天長節の祝いは同時に、自分たちにのしかかる苦難を一時的にでも忘れる機会にもなった。彼らは演芸会を企画した。日常生活を題材にし、仕事でへまをする仲間のだれかを面白おかしく演じたり、夫たちの重労働を心配する妻たちを演じたりした。なかには特殊な演技力をもつ男がいて歌舞伎役者をまねた。歌舞伎は故郷でも人気があったが、植民地でももてはやされるのだった。歌舞伎役者のように、にわか役者も石灰で顔を白く塗りつぶした。
 それから歌い手も舞台にあがった。日本の小学校の学芸会の再現だった。そして、何軒かの家でつくられた弁当も出された。その弁当は故郷のものとは全くちがっていたけれど、みんなは満足だった。日本には弁当箱があり、中味はかまぼこや野菜の天ぷら、赤飯などだった。ここでは白米の握り飯が布巾に包まれてだされたが、正輝はその日は最高に幸せだった。故郷の歴史、道徳と規律、習慣、ゆたかな文化、宗教、社会を誇る民族の一員であることを自覚することができたからだ。
 彼はみんなの天皇によせる熱狂的な真情をひしひしと感じた。あるときにはそれは日本人の先祖崇拝のような宗教性を感じることもあった。正輝ばかりでなくみんなが天皇を崇拝するのは、当時の政治的教育の意図によるもので、保久原家をふくむ日本移民の全員がたずさえてきた慣習といってもよく、これがブラジル移民の歴史におおいに影響したといえる。
 それは錦衣帰郷の夢が、指の間からこぼれ落ちる現実のまえで、気持ちを埋めあわせるメカニズムのようなものだった。移民たちは国粋主義、帝国主義を基とするイデオロギーに心のよりどころを求めたのだった。日本語学校や日本人会は国粋精神を教えこむ機関となった。これは乗船したときにすでに移民の間に醸成されていたのだが、日本軍の勝利がつたえられ東洋における支配力がる強まるたびに、さらに強固になった。
 学校で頭に叩き込まれたこと、特に明治政府が盛んに普及させた大和魂の涵養が、今、正輝の仲間たちに呼び戻されようとしていた。樽、ウシそして正輝らは仲間同士で問題を語りあい、苦しい生活を少しでもやわらげようとした。仕事や生活が苦しければ苦しいほどますます大和魂は強固になったのだ。

image_print

こちらの記事もどうぞ