ホーム | 連載 | 2019年 | 『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩 | 『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(22)

『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(22)

新たな危機!

 世界一となったブラタク製糸にも、実は新たな危機が近づいていた。生糸の販売量の恐ろしいほどの減少である。1991年の1、000㌧台から以後漸減し、21年後の2012年には半分の500トンを割った。
 その間、従業員も2、850人から916人と三分の一以下になっていた。
 もっとも、これは同社だけの現象ではなかった。絹製品そのものの需要が世界的に減少したのだ。
 嗜好の変化によるもので、これだけはどう仕様もなかった。
 製品の大半の出荷先であった日本では、芸能人くらいしか絹製品を買わなくなっていた。
 2012年、ブラタクの日本向け輸出は全出荷量の半分を割った。
 世界的な大不況も影響、赤字決算が続いていた。
 グンサンから買い取ったドアルチーナの工場も、すでに操業を停止していた。
 そして遂にバストス工場の閉鎖も噂され始めた。これは需要減の他に、地元の養蚕家が極めて少なくなっている…という事情も絡んでいた。主たる養蚕地は、北パラナになっており、繭も殆ど、そちらから仕入れていた。ロンドリーナ工場に生産を集中した方が合理的であった。
 この噂は、我々、外部の観察者には衝撃的であった。バストスを存続・発展させて来た蚕糸・養鶏の二産業の内の一つが無くなることを意味するからである。
 しかしながら、意外なことに、地元には醒めた見方があった。「ブラタクはドンドン大きくなったが、養蚕家は儲からなかった」というのだ。従って工場閉鎖に関しても、他人事の様な反応を示す住民もいた。
 地元に、そういう空気があり、それが強ければ、会社側も気が楽になるわけで、それだけ閉鎖の現実感が増す。役員の中にも「ロンドリーナ工場への集中ということも、ありうる」と漏らす人もいた。

パリから来た大量注文

 ところが、そこに予想外のことが起きた。2012年から13年にかけて、同社が応じきれぬほど大量の注文が舞い込んだのである。価格も良かった。
 これで、バストス工場閉鎖の噂は消えた。
 しかし、市場の需要が全般的に回復したわけではなかった。実はパリの有名な装身具メーカー「エルメス」が、その回復を齎してくれた。エルメスはブラタクから生糸を輸入、絹にしてスカーフ、ネクタイなどの装身具を生産、販売している。世界的なブランドである。そのエルメスが好条件で2014年分までの発注をしてくれたのだ。それまではブラタク製糸の最大の販売先は日本であったが、この時からエルメスとなった。
 当時、経営審議員だった丸山栄氏は、こう語っていた。
 「ブラタクのような高質糸を、完全に契約通り販売できる製糸工場が他になく、希少価値が出てきたのです。高質糸を生産できる工場は中国にも1、2ありますが、信用面では、ブラタクに劣ります。中国の生糸メーカーは、一旦交わした契約を破ることがある。ブラタクは一旦決めたことは絶対守る。それと日本では、需要が大きく減ったとはいえ、まだ2万俵の生糸需要があります。以前は主に中国の生糸を使っていましたが『高質糸を、契約を完全に履行して供給できるのは、世界でブラタク一社となった』と注文がきています」
 2017年中頃、改めて経営状況を丸山氏に問い合わせると、要旨次の様な回答だった。
 「生糸の販売量は、2012年からわずかに増えて横這いです。採算は利益を出しながら、同じく横這い。繭は価格の大幅アップにより入荷量は下げ止まり、地元の養蚕家の減少も歯止めがかかって、以後、増加しています。今後は高質糸を生産続行します。工場幹部は50~65歳で、まだ10数年続けて行けます。問題は将来の経営者を如何に育てるか…です。今は一世と二世だが、10数年後は二世、三世になっている。三世ともなれば、本来のブラジル人に戻っている。彼らが創立者の一世の精神、識見、誠実、勤勉、美点を受け継いでくれればと願っています」
 2018年11月現在、特に変わったことは聞かないが、ブラタク製糸の運勢は、まことに波乱に富んでおり、いつ何が起こってもおかしくない。(つづく)

image_print