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国際市場舞台に活躍する日系農業者=(2)=パラグアイ「ブラジガイオ」の沃野=サンパウロ市在住 駒形秀雄

イヴァン氏のパラグアイの立派な自宅

イヴァン氏のパラグアイの立派な自宅

 今度はパラグアイで活躍するブラジル人・イヴァン/イラセマ夫妻の農場を訪問しました。イラセマさんはブラジル・北パラナでラミー王として知られた故市村之(すすむ、新潟県出身)の息女にあたる人です。
 イヴァン(敬称略)の農場はパラグアイ国、アルトパラナ州サンクリストバゥ村にあり、ブラジルとの国境から130KMの所になります。国境の街、レステの市街を抜けると延々と大豆畑が続き、人の姿も殆ど見えません。イヴァンは北パラナで立派に農業経営をしていたので、「何でこんな(遠い)所で農場を開いたの?」と日本からの訪問者が尋ねました。「肥沃な土地があり、しかも安かったからさ」イヴァンの答えは明白でした。
 そう、パラグアイ南東部には肥沃な原野が広がり、それがカフェー栽培でもう盛りを過ぎたブラジル(パラナ北部)の農地の十分の一の価格で入手出来たのです。

創業者の市村之さんと2010年次の新潟県農業研修生の皆さん(2010年1月16日撮影)

創業者の市村之さんと2010年次の新潟県農業研修生の皆さん(2010年1月16日撮影)

 一方、資金と栽培技術を持ったブラジル農業者の流入の動きをみて、パラグアイ政府も機敏に動きました。1969年、それまであった「国境から150KM以内の土地は外国人には所有させない」規制を改めて、外国人(ブラジル人)による農地の取得を自由化したのです。
 ブラジル人から見たら、言葉も気質もほぼ同じ、今まで住んでいた所の延長くらいに思えるパラグアイです、国境沿いにブラジル人農場が急増しました。そして、1960年~1990年には在住ブラジル人が40万人に達しました。
 当時、このようなパラグアイに住むブラジル人をブラジガイオ(BRASILEIRO + PARAGUAIO)という呼び名が出来たほどでした。

▼世界に伍する機械化農業

 イヴァン/イラセマ夫妻の農場は「ファゼンダ4―I」と呼ばれます。夫妻と二人の子息の名前に{I}が付いているからだそうです。その「4-I農場」の見晴るかす農場の所有地は1840ヘクタール(Ha)で、内1400Haを生産に利用しています。
 大豆は年2回収穫可能ですが、夏作で5300トン、冬作で3300トン、年間で8600トン~9千トンの収穫があります。また、大豆の連作で土地が弱ってくるとトウモロコシや小麦、カノーラ(種油)を裏作したり、、牛を放牧したりして地力を回復させます。
 大豆はその大半が輸出で、その価格は米国のシカゴにある取引所の国際相場で決まるのだそうです。イヴァン等農場主はその動きを毎日チェックし、また、ブンゲ、カーギル、ADMなどの大手メジャー(代理人)とも蜜に連絡を取り、売買を決めます。

大豆の収穫の様子

大豆の収穫の様子

 価格はその年の大豆の出来栄え、需給などで大きく変わりますが、例えば2012年、トン当たり29ドルだったものが、2018年は18ドル/トンに下がっています。国際化、自由化というのも言葉はきれいですが、実際はあまり楽でもないようですね。
 そんな大きな仕事をしているので、訪問者の一人が「従業員はどの位いますか?」と聞くと、「固定員は10人」と意外な答えでした。農繁期には臨時の作業者を頼んだり、相当な人数になるのでしょうが、大幅に機械化された作業と人手を使わないように改良された作物のせいもあり、固定される人件費はミニマム(最低限)に抑えられるようです。
 農業用機械は大型のコンバイン(収穫機)など、機械力を利用します。その収穫機のタイヤなどは大人の背丈以上もあり、圧倒されます。ただ、「機械の代金が1台何十万ドルもして高い」とこれはイヴァンの話でした。これら機械の運転席は「エアコン完備」です。昔の汗と埃に塗れた農作業とは大違いの様ですね。

「4―I農場」にずらりと並んだ収穫用のトラクター(2010年撮影)

「4―I農場」にずらりと並んだ収穫用のトラクター(2010年撮影)

 「4―I農場」には370頭の牛も放牧、飼育されています。これの世話は専任一人だけとのことでした。飼い方が違うにしても、「へー」ですね。
 訪問の終わり頃「これだけの農場を経営して、一番重要だと思うことは何でしょう?」難しい質問が出ました。イヴァン氏の答えは、これが即時、短い「天候と相場(価格)だ」。成る程、規模は大きくとも、常に気に掛けているのはどこでも同じ様な事なんだ、と感じられました。
 さて、サンパウロなど私達の周辺では長引く不況でどうも出口の見えない、閉塞感があるように思われています。「どうもパッとしないな。新しい政府になったと言うんだが、なんとか景気のいい話を出してくれんかな」。年のせいかこんなつぶやきが聞こえてきます。
 でも、こうやって北や南の日系農業者を訪ねたところでは、皆さん、元気で自由競争の中でガンバッテ居られます。
 しかも昔の人のように「これしか方法はない、私生活を犠牲にしても、何としても成し遂げねば」とまなじり決してガンバルのでなく、自分の生活はそれなりに維持し、生活も仕事もある意味ENJOYして過ごしているようなのです。
 北東伯のジュアゼイロのラウロさんは朝飯前にテニスを楽しんでいるし、南のイヴァンさんは二つの国にまたがって悠々活動しています。見聞を広めるため、年に1回は海外にも旅行出来るのです。
 「我が国の市場を海外に開放したら、我々の農業はつぶれる。どうしたら良いか」と心配するのでなく、これらの人たちは「海外にも我々の市場は開かれているんだ。「VAMOS! LET‘S GO!」と前向きに捉えています。
 私たちにも聞くだけでも、知るだけでも元気を与えてくれる日系農業者の活躍ぶりでした。 ―完―(hhkomagata@gmail.com

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