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県連故郷巡りカリフォルニア=150周年、満砂那(マンザナー)に平和を祈る=《22》

日本と歴史的繋がり強い桑港

沖縄県人会の皆さん。手前が本竹絹子さん、その後ろがミヨリ・パンス会長

沖縄県人会の皆さん。手前が本竹絹子さん、その後ろがミヨリ・パンス会長

 北加鹿児島県人会の木村耕蔵会長は「北カルフォルニアと日本との歴史的な繋がりは強いです」と歴史的な事実を次々に挙げた。
 まず江戸時代の1860年、日米修好通商条約の批准書を交換するため、遣米使節団として派遣された咸臨丸が寄港したのがサンフランシスコだ。明治維新期に入って1871年12月、岩倉具視をリーダーとする「岩倉使節団」一行総勢107人が最初に米国上陸したのもここ。
 さらに1951年、連合国側との戦争状態を終わらせるための「日本国との平和条約」(通称・サンフランシスコ条約)、同時に、在日米軍などを定めた二国間条約である、いわゆる「旧日米安保条約」もここで結ばれた。
 つまり日米関係の節目では、この町が舞台になる。そのような地理的な条件がある。地球の反対側にあるブラジルとは大きな違いだ。
 北カリフォルニア県人会との交流会で、10人中6人を占めたのは沖縄県人会だった。現在の会長、5月に就任したばかりのミヨリ・パンスさん(二世)。創立は40年前で、会員は300人もいるという。ペンシルバニア州の生まれで、琉球古典舞踊、琉球国祭り太鼓、三線もやっている。
 彼女に沖縄文化を教授しているのは、本竹(もとたけ)絹子師範(68、沖縄県)だ。与那国出身というので、日本の最西端に位置する国境の島だ。安座間本流清風一扇会USA、本竹絹子琉舞研究所、サンフランシスコ沖縄県人会芸能部長などの肩書がズラリと並び、母県からも新ウチナー民間大使に任命されている。
 本竹さんは「『十九の春』の本竹裕助が兄です。弟は中部病院院長」と自己紹介した。本竹裕助さんは、大戦前に那覇の遊郭で流行し「小唄」などの俗謡を採録した上で補作詞し、1972年に「十九の春」としてレコード化した。
 《わたしがあなたに惚れたのは/ちょうど十九の春でした/いまさら離縁と言うならば/もとの十九にしておくれ》という、妻を持つ男に惚れた女の片思いを歌った歌詞で広く知られている。その補作詞者が兄とは、スゴイ有名人の身内がいたものだ。
 「こっちに来て38年。美容室を経営しながら、10年間毎年、沖縄に2、3回通って教師免状をとった。それから20年間、ボランティアで踊りを教えている。70年代、80年代は二世がまだ元気だった。でも今は三世、四世の時代で、沖縄文化への興味を持たせ続けるのは難しい。でも今の会長(パンスさん)は、太鼓を聞くだけで気持ちが入っちゃうような沖縄の血が濃い人。これからも沖縄文化を伝えることに頑張るわ」と力を込めた。
 故郷巡りコーディネーターの伊東信比古さん(75、大分県)は「サンフランシスコの県人会との交流は今回が初めて。これがきっかけになって、いつかサンパウロの日本祭りに来てほしい」との希望を語った。(つづく、深沢正雪記者)

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