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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(106)

 しかし、考えを述べるまでには達しなかった。その必要もなかった。樽は正輝が短期間につぎつぎ起きた事件に打ちのめされていることが、その顔つきから判断できた。つねに自分の主張を論理的に述べ、相手を同意させるあのいきいきした俊敏な目つきが、今は放心状態で、遠くをむなしく見つめている。目が曇っている。話し方も以前の確信的で迫力があったものが消え去り、感情などどこかに捨て去り、すでに起きたこと、処理されたことを報告するように無感動に話すだけだった。いままでも、感情をあらわさなかったが、今回は感情を完全に抹殺したかたちだった。
 樽はこれまでかけた歳月や自制心から培われた分別によい、甥が気がふれてもおかしくない状態だと心配はしたが、甥の無気力さをけっして悪いとは考えなかった。ある意味で無気力さが苦痛を食い止めている。1918年7月にブラジルの地を踏んで以来、別々に、あるいはいっしょに二人が受けた経済的苦難ではない。今回は心、精神、感情が受けた大きな痛手なのだ。そんな場合、無気力さこそ最良の薬といえるかもしれない。
 しかし、目の前にいる正輝は、日本から連れてきたあの正輝とは別人のようにだ。彼と長いあいだ、この地で苦しい生活を共にし、厳しい毎日をしいられ、ようやくそれにも慣れてきたがやはり、現実はいまだに厳しい。しかし、力仕事にはまったくむかず、雄弁で、挑発的で、たしかな自分の生き方をもつあの若者はどこへ行ってしまったのだろう。そこにいるのは人生の戦いに敗れ、ただ、成り行ゆきにまかせているだけの人間なのだ。
 樽叔父が訪ねてきたのは、正輝がこんな人生のどん底にいるときだった。叔父と再会したことで、正輝は沖縄時代を思い出した。死をずっとあとで知らされた父忠道のこと、故郷の新城に残された長兄哲夫のこと、彼をとりまいていた全ての記憶をとりもどした。貧乏で苦しかったが生きがいのある生活だった。家があり、独特の言葉、食べ物、生き方、寝方、勉強の仕方、耳にする音、母タルが作る食べ物のにおい、それら全てを思い出していた。寂しくなったとき心を満たしてくれる父が弾く三線の曲も思い出した。
 成功して故郷に帰るということはできなかった。20年以上前にサントスに下船したときと同じぐらい貧乏がつづいている。家族をもうけ、妻や子どももいる。けれども、運命は仕事の成功を阻むばかりか、ヨーチャンの死で、自分の肉体の一部さえ奪ってしまった。あまりにも高すぎる報酬ではないか。はじめから分っていたら、なにもしない方がよかったのだ。ソテツ地獄の沖縄で死んだほうがよかった。それにしても故郷ウチナーはあまりにも遠すぎる。
 樽は正輝の意気消沈状態がこれ以上悪化しないように、一時的でも何か手を打たなければならないと考えた。人は生きているし、生きていかなければならないのだ。
 その忠告が功を奏した。ネナとセーキを引き取ったが、正式な法的手続きに悠長だった正輝はすばやく入籍手続きにのりだし、二人の子どもを保久原家の実子として登録したのだ。その当時、出生登録は登録者と一人あるいは二人の証人がいれば簡単に受理され、それほど、うるさくなかった。
 また、子どもたちの出生状況が正輝のやり方を有利にした。房子ははじめの妊娠から2年おきに出産してきた。彼女が出産しなかった年にネナとセーキを割りこませることができたのだ。1936年生まれのネナを1年ずらして1937年の同じ月、同じ日にうまれたことにした。なぜなら、次男のアキミツはネナと同じ年に生まれたからだ。セーキについては不幸なできごとが登録をしやすくするという幸運があった。1938年に生まれた三男のヨーチャンが死んだことで、その年にセイキが生まれたことにすればよかった。
 正輝夫婦はこのようにして、ウサグァーとヨーチャンの死後、戸籍上、マサユキ、アキミツ、ネナ、セーキ、ミーチの5人の子持ちになった。
 死がもたらした悲しみをぬぐいさることにはならなかったけれど、少なくともこれから先、家族が生きていくための出口を見つけることができたと言えよう。

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