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いま見直される古代の健康法=「病み上手の死に下手」社会=人を幸せにしない高度医療=ヴィラカロン在住 毛利律子

平均寿命と健康寿命の違い

仲良く二人で散歩する高齢者(参考写真)

仲良く二人で散歩する高齢者(参考写真)

 日本は世界に先駆けて超高齢社会となり、「平均寿命」も「健康寿命」も高い。
 「平均寿命」は「死因に関わらず、生まれてから死ぬまでの期間」を指し、男性81・09歳、女性87・26歳(2017年)。統計を取り始めた終戦直後の1947年の時点では、男性50・06歳、女性は53・96歳であった。
 一方、「健康寿命」は、「介護を受けたり寝たきりになったりせず日常生活を送れる期間」をいう。2016年の「健康寿命」が、男性72・12歳、女性74・76歳である。これら「平均寿命」と「健康寿命」の差は10年ぐらいある。
 今日、何らかの病によって緊急事態で病院に駆け込めば、ほぼ命は助かる。しかし、歩けない、食べられない、しゃべれない、考える力を失うといった後遺障害を残し介護が必要となる。
 平均寿命と健康寿命の乖離が10年ほどあるということは、多くの人が寝たきりや痴呆を経て亡くなっているという現実を示している。

長寿を目指すか、天寿を目指すか

 評論家で、「高齢社会をよくする女性の会代表」の樋口恵子さんが、医学ジャーナリスト通常学会の特別講演で、「病み上手の死に下手社会の当事者」と題して次のように語っている。
 樋口さんのお姑は、明治38年生まれ。腺病質で次々と病気をしたが、90歳まで長生きした。今から十数年前に亡くなったが、その間、家族は何度も「臨終」といって呼び集められ、その都度、高度医療の力によって本人は生還する、ということを繰り返した。
 そんな時に、その姑が言ったのが、「私は病み上手の死に下手ね」であった。この反対がピンピンコロリであろう。
 ここで樋口さんは、現代では死に下手というより、医療が施す「死なせ下手」の側面を問題視しなければならないと述べている。(「日本医学ジャーナリスト協会ニュースレター合本6」より)
 これは、医療や介護の力を借りて長生きすることではなく、自分の力で生きられる「健康寿命」を延ばすことを、医療が本気になって取り組まねばならないことへの提言であろう。
 この頃「高度医療は必ずしも高齢者、癌患者を幸せにしない」、「医療の限界」を表明する医師の発言や、高度医療に関する疑問などが新聞・雑誌の見出しを賑わすようになった。
 「寝たきりや認知症などの老人病」は治療するのではなく、癒しを施す必要があり、そのような病人に延命治療は否定されなくてはならないという考えが広まりつつある。
 
医師と患者で進める医療の賢い選択

 現代医療に蔓延る「過剰診療」、「無駄な医療」の内部告発に、現役医師たちが自ら乗り出した。それがチュージング・ワイズリー(賢い選択)だ。2011年にアメリカ内科専門医認定機構(ABIM)財団が「不要かもしれない過剰な検診や、無駄であるばかりか有害な医療を啓発していこう」と呼びかけたキャンペーンである。
 その活動は拡大し、現在は全米74の医学・医療の専門学会が協力し、400以上の「無駄な医療」を指摘している。それは、不要で無駄であるばかりでなく、有害でさえありえるような治療介入を、一覧にして公開した。
 アメリカ国内で起きている過剰な医療を見直そうという動きは、今や世界的な潮流となってイギリス、カナダ、ドイツ、イタリアなど17か国に広がり2016年10月には日本でも『チュージング・ワイズリー・ジャパン(以下、CWJ)』が立ち上がった。
 ブラジルにも、「賢い選択・ブラジルChoosingWisely Brasil https://proqualis.net/choosing-wisely-brasil」ホームページがインターネット上で紹介されている。
 CWJでは、日本の現状に即した無駄な医療5つをリスト化して公表し、今後増加させる方針ということである。また、日本の医療現場でもよく行われている無駄な医療60項目という見出しの解説もインターネット上で公開されている。
 さて、それでは、癌や様々な命に関わる病気などの検査や治療を、一般人、患者はどのようにして適切な治療を選択し、意思決定をしたら良いかという疑問が残る。
 まず、治療の意思決定をするには、次の3つのパターンがある。
《1》パタナリズム:医師が望ましいと判断した結果を提示する。患者には資料選択の機会を与えない。
《2》シェアード・ディシジョンモデル:提供する情報は、例えば複数の選択肢であり、それぞれの利点や起こり得るリスクについて、医師と患者が話し合いを重ねて、医師と患者で意思決定が行われる。
《3》インフォームド・ディシジョンモデル:患者は幅広く医師以外からも積極的に情報を収集し、自分で意思決定を行う。
 他には、患者が自分で診療の記録を見られるような電子カルテや、自分で持ち運べる「私のカルテ」のような医療者と同じ情報をいつでも見られるようにする方法がある。日本医療機能評価機構による病院機能の評価項目でも、診療に関する情報が患者と共有されていることが入っている。
 通常の時間外の医療者と患者の情報収集・交換・共有の場としての「患者会」も次第に活発になっている。「医療の質が高い病院」あるいは「いい病院」というのは、患者が自分の体や病気、日常生活上の注意などについて、自分で考えて意思決定することを支援する病院ということがいえよう。
 また、患者の意思決定が難しい場合の倫理的判断をどのようにしたら良いか。それは、たとえ親であっても、意思決定ができない患者本人に代わって、どうすることが本人の望みに叶うのかということを含めた倫理的な決定を行う場合である。
◎重症障害新生児を例に挙げると、極端な早産や先天性異常によって、生き延びる可能性がごくわずかしかない新生児の延命を試みるか、死んでいくに任せるかについて。
◎90歳以上の高齢者の脳腫瘍、ガン手術について。手術をせずに、ほう`っとけば、もっと長生きできたかもしれないのに、1千万円以上の医療費をかけて手術をしなければならないのか。
◎突然の事故・事件に巻き込まれて植物状態になった親族への延命治療。
◎極めて稀な遺伝的疾患への臓器移植。
―など、現代の最先端医療の介入は、時に、患者やその家族置き去りにされたような嘆きをよそに、独り歩きしているように感じられる。しかもこれらの出来事は、何一つ他人事ではなく、いつ自分の身の上に起こるかもしれないという不安を誰もが抱いているであろう。
 ブラジルでも、医師と患者が共に賢い治療選択をすることができる機関があるようだから、積極的に情報を集め、明確に自分の意思を伝えて、納得するまで話し合って治療法を決める。この「賢い選択」は、医師はもちろんのこと、患者の側にこそ求められているのではないか。自分の病と闘う当事者は自分自身であるのだから。

ヒポクラテスの伝統

伝統的なヒポクラテス像(ローマ時代につくられた胸像(19世紀銅版画)、From Wikimedia Commons)

伝統的なヒポクラテス像(ローマ時代につくられた胸像(19世紀銅版画)、From Wikimedia Commons)

 今から2500年以上も前の紀元前4世紀、古代ギリシャにヒポクラテスという医師がいた。彼は後に「医学の父」、「医聖」と呼ばれるようになった。彼の学説は、現代の高度医療の隅に押し遣られた感があるが、人間が健康に生きるための普遍的な知恵は決して廃れることなく、今日に生き続けている。
 ここには、ヒポクラテスとその学派のよく知られた言葉を抜粋して紹介したい。

 医師の宣誓文

 ヒポクラテスは弟子に対して医師の倫理・任務などについて説いたが、それは、遠い過去から偉業に携わる者によって受け継がれ、今日でも「ヒポクラテス誓詞」として伝承されている。医学部卒業式や医療機関への入職時などで、自ら暗唱したり、あるいは暗唱を求められたりすることがある。
 それは現代の医療倫理の根幹を成す患者の生命・健康保護の思想、患者のプライバシー保護のほか、専門家としての尊厳の保持、徒弟制度の維持など、高い道徳的原理に対する忠誠が謳われている。
 その『宣誓文』からいくつか抜粋すると、
★病気は、人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである。
★私たちの内にある自然治癒力こそ真に病を治すものである。
★患者に発熱するチャンスを与えよ。そうすればどんな病気でも治せるであろう。
★全ての病気は腸から始まる。直感とは内臓感覚である。
★生命は短く、学術は永い。好機は過ぎ去りやすく、経験は過ち多く、決断は困難である。
★病人の健康のことだけを考え、不公平や堕落の疑いをかけられるような一切の行為を慎むことを誓うこと。
★診療にあたって見聞したこと、他言すべきでない事柄は、これを秘密として沈黙を守る。
★この誓いを守り続ける限り、全ての人から尊敬され、医術を通して豊かな成果を手にすることができる。しかし、もしこの誓いを破るなら、その反対の運命をたどることになるであろう。

一般人が守る健康法

 また次の格言は、一般人が日常生活において、これらを守れば健康でいられるということを唱えているが、中国の古典的な健康法や医食同源の考え方にも類似している。
★「歩くと身体が軽くなる」
★「火食は過食に通ず」
★「満腹が原因の病気は、空腹によって治る」
★「月に一度断食をすれば病気にならない」
★「病気は神が治し、恩恵は人が受け取る」
★「汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ」
★「人は自然から遠ざかるほど病気に近づく」
★「病気は食事療法と運動によって治療できる」
★「食べ物で治せない病気は、医者でも治せない」
★「人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている」
★「賢者は健康が最大の人間の喜びだと考えるべきだ」
★「健全なる体を心掛ける者は、完全なる排泄を心掛けねばならない」
★「筋肉を十分に使っている人は病気に罹りにくく、いつまでも若々しい」
★「心に起きることは全て身体に影響し、身体に起きることもまた心に影響する」
★「食べ物について知らない人が、どうして人の病気について理解できようか」
★「人間がありのままの自然体で自然の中で生活をすれば120歳まで生きられる」
★睡眠も不眠も度を越せばともに悪い。
 ヒポクラテス学説の結論としては、人間の健康状態はすべての環境要因によって影響を受ける。すなわち、空気と水と食物の性質、風と知性、一般の生活習慣など。ヒトに及ぼす環境の力、その作用を理解することは、医者の技術の基礎になる。
 健康は、環境と生活法と種々な人間性との間での調和の表現である。
 心に起こることは身体に影響し、また身体は同様に心に反映する。心と体は互いに独立しているとは考えられない。したがって健康とは、健康な体に健康な心を持つことを意味する。
 この平衡が破られたときには、自然の良くない影響を正して、回復させるような合理的な方法が用いられるべきである。すなわち摂生法、薬剤、および外科的手術のような方法である。

リハビリ中の高齢女性(muon-ashさんによる写真ACからの写真)

リハビリ中の高齢女性(muon-ashさんによる写真ACからの写真)

 医学の実施に当たっては、人間の状態に対する敬虔な態度を持つべきであり、厳格な倫理の規則にもとづかなければならない。
 ヒポクラテスは医師として患者を診るにあたり、病のすべては「身体と心と環境の相互作用から引きこされる」。精神的・心理的病も含めて、「人間を、その全環境においてとらえることなしには、病の理解も治療の成功も、決して得られるものではない」と把握していた。
 この頃、世の中はアンチエイジング・ブームから、自然な老いを受け入れようという風潮に移行しているという報道が目立ってきた。自然治癒法を再考し、生活習慣を改める。
 先人の知恵から生活改善、食事改善を学ぶ。大病院依存、最先端治療一辺倒、行き過ぎた投薬や補助食品依存を見直す。医療者が実践する全人的包括的医療の推進、といった見出しが目立っている。
 医療に対する先祖返りか。ここには、古代の賢人たちが今日の社会に向かって、全ての現象に当てはまる叡智を集め、そのことに気付いてほしいという呼びかけを続けているかのようである。

【参考文献】
◎Human Nature René Dubos, 1968 Encyclopedia Britanica,Inc.

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