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島から大陸をめざして=在米 村松義夫 JAC日米農業コンサルタント=第4号

カリフォルニア州米作農家(村松さん提供)

カリフォルニア州米作農家(村松さん提供)

 派米農業実習生事業は、全国からの農業及び関連組織勤務の実習生が主体で、僅かな学生枠があった。この枠には将来、世界各地へ農業移住や農業指導で羽ばたく学生のために、大農と経営農業を米国から学び、同時に古来から日本の誇る小面積から多量で質の良い農畜産物の生産技術を併合することで、さらなる相乗効果をもたらすとの考えであった。
 またこの時期「学移連」も南米ブラジルへ1カ年の派遣研修事業を政府の補助を受けて、農・工・商の職種で開始していた。
 卒業と同時に日本の実践農業を経験するため、西多摩郡の篤農家にお世話になり農作業に汗を流した。その間、実習生事業も次第に拡大し、また帰国実習生が各地で優れた農業に頭角を現し、地域のリーダーとして認められていった。2年後、実習生事業受け入れ先の米国から、この事業の指導員として来ないかという要請があり、お世話になった恩返しのつもりで決意し、1968年第17回生の120人を引率し、チャーター機で渡米し任務に就いた。
 5年後のカリフォルニア農業は、機械化とハイテクの導入で、さらに大きな進歩を遂げていた。リンカーン大統領の時代、米国の発展は高等教育事業であるとして、国と州が共同で開校した総合大学が、各州に1校ずつ開校されていた。ここに農学部と獣医学部が設置され、農学部は学生教育、農畜産試験場、改良普及部があった。試験場での各種結果は即、普及部を通して郡単位で設置された普及所にわたり、専門化した普及員により地域の農畜産業者に伝達され、生産者はこの優れた情報により技術改革がなされていた。
 現地での実習生の受け入れを知ったブラジルのコチア産業組合と南伯農業組合から、この事業に農業後継者の受け入れを要請され、第1期生15名を受け入れた。ブラジルからの実習生は受け入れ先農場の受けがよく、毎年受け入れ人数を増やし、第1回生の実習生経験者の一人が現地指導員となり、ブラジル実習生事業は更に増加した。彼らは帰国後、伯国農業の発展に地域で目覚しく貢献していった。
 隣国のアルゼンチンの日系農業者からも毎年5名程度を受け入れた。この時、韓国の文部省、農業省から実習生の受け入れ要請を受け、韓国に飛んで事業の説明をし、農業地帯を視察した。しかし日本と比較して遥かに貧しい農業には驚き、手を差し伸べるべきと判断し許可した。その結果毎年15名の枠を設けて受け入れた。
 サンフランシスコの本部は西部5州に多種目の受け入れ農家を確保し、アイオワ州デモンインの事務所は中西部5州で畜産業を主体とする農家を確保し、実習生を配置した。1年間同じ農場で実習し、年間3回の研修旅行も開催した。この実習生事業に10年間ドップリと精進し、受け入れ農場と実習生への訪問循環で全米を走り回った。だが、自身の南米への移住の夢も忘れてはいなかった。(第5号に続く)

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