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アマゾン90年目の肖像=「緑の地獄」を「故郷」に=(7)=防犯にも取り組むトメアスー文協

建立されたばかりの鳥居

 7月下旬、ベレンからバスで4時間ほどかけてトメアスー移住地のクアトロ・ボッカスに到着した。目印は、トメアスー文化農業振興協会(ACTA、以下文協)の会館前に建立された巨大な鳥居。高さ10メートル、幅8メートルで、90周年事業の目玉の一つとして今年5月に着工、7月19日に完成した。

日伯の懸け橋を体現している林建佑理事

 文協の正面には、南拓を主導した鐘紡の武藤山治社長の銅像が置かれている。銅像を横目に中に入った記者を出迎えてくれたのは、文協で日本語学校兼渉外担当を務める林建佑理事(38、兵庫県)だ。
 林さんは、トメアスー産のアマゾン果実の製品を日本国内で販売する株式会社フルッタフルッタ(本社東京)のブラジル事務所の所長として、11年から駐在している。ブラジル人の女性と結婚し、現在は3児の父。日ポ両語をこなす、同地に無くてはならない存在だ。
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 コロニアの人口の増加に伴いトメアスー全体が団結するために、62年に地区会連合会が発足された。これが事実上、同地で初めて確立した自治体であった。66年にはトメアスー文化協会へ名称を変え、70年には正式に法人登録された。
 当時はポ語の手続き、マラリア防遏(ぼうあつ)委員会への協力等多方面で貢献。連載6回目の山田元さんの話でも触れた通り、当時は日系人の政治家を輩出するために帰化する人が多く、その手続きも引き受けた。
 また、72年に国際協力事業団(現JICA)から大型重機械の貸与を受け、管理運営機関として機械運営委員会を設置。この組織は時代によって役割を変え、名称もトメアスー農業振興協会(76年、ASPRO)、トメアスー農村振興委員会(73年、COFATA)、トメアスー農村振興協会(81年、ASFATA)へと変更した。
 80年代には、設立されたマラクジャ・ジュース工場をASFATAが運営し、トメアスー総合農業協同組合(CAMTA)が生産物を出荷するという役割分担ができていた。しかし非営利団体の協会が販売を行う問題から、その後、ジュース工場はCAMTAが全て請負うことに。

会館前に置かれた鐘紡の武藤山治社長の銅像

 80年代からはトメアスー文化協会会館内にASFATAの事務所を置き、徐々に活動を一本化するようになった。03年には完全に組織が一体化し、現在のトメアスー文化農業振興協会(ACTA)を設立した。
 文協の現在の会員は191人で、役員は二世が中心。会館の横には、文協が経営する私立校「日系学校」(Escola Nikkei de Tome-acu、武田タケコ・ダルシー校長)がある。日系学校とは別に、トメアスー日本語学校(和田ひとみネウザ校長)も運営されている。
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柴田一宇シルビオ会長と佐々木ジェトゥリオさん

 7月下旬、記者がアマゾンへ飛び立つ前日に文協の柴田一宇シルビオ会長(57、二世)が来社した。9月7日に行われる90周年記念の「チャリティーディナーショー」の打ち合わせのために来聖していた。
 「今年の盆踊りはすごく盛り上がった。朝3時まで働いたよ」。柔和なまなざしの柴田会長は、18年4月から会長に就任。昨年の眞子様ご来伯で活躍し、今年のトメアスー日本人移住90周年記念祭典実行委員会の祭典委員長を務める。
 7月20日に行われた「第16回盆踊り大会」は、入植90年目とあっていつもより500人多い約2500人が集まる盛大な催しとなった。
 会館前に建立された巨大な鳥居は、来場者の目を引いた。よさこいソーランなどの日本の踊りや、コロニア歌手の平田ジョエのショーも。最後は郡庁が15分間の打ち上げ花火に協力し、華やかな夜を彩った。
 90周年事業では、電気代節約のために同会館に設置する太陽光発電の取り付けも進行中。13日の記念式典で落成式を行う予定だ。
 また、今月21、22両日に「第10回トメアスーアグロフォレストリーセミナー」を開催。これも90周年事業の一環として行われている。
 パラー州政府に依頼した道路舗装工事は「止まってしまっている。昨年に政権が変わったから、なかなか進まないね」と苦笑い。
 60年代に設立した会館の2階には、99年の70周年事業でトメアスー日本人移民史料館を設立。ここも90周年事業として、改修を進めている。準備は大詰めとなり、より一層気合が入っている様子だった。
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 トメアスーの文協の特徴的な活動の一つが、防犯に対する取り組みだ。86年に治安が悪化したことを受け、防犯・治安対策委員会を設置し、州の保安局に特捜班の出動要請も行った。
 90年代のデカセギブームの時期には、デカセギ帰りが「金を持っている」と思われ、日系人を狙った強盗が横行した。警察に警備を強化してほしいと依頼したが、「ガソリン代がない」と取り合ってもらえず日系人で自警団を作った。
 夜にパトロールを行い、当時は実際に銃撃戦も行われたという。命の危険もあるため、会員で支援金を集め、警察に寄付し協力を要請した。この防犯への取り組みが、パラー州から治安維持のモデルケースとして評価されている。
 立役者となったのは、警察との関係作りの構築から携わった防犯担当の五島洋一理事。彼は軍警察から叙勲された。
 なお、同地に多大な貢献を行い精力的な活動を続ける同文協は、来年50周年を迎える。(つづく、有馬亜季子記者)

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