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日本文化の本質、「和の国」の“根っこ”とは

伊勢雅臣さんの新著『日本人が知らない日本2』(育鵬社、2019年)※編集部にて10冊限定で販売中

 二世、三世ら子孫、ブラジル人に「何が日本文化か?」と尋ねられて、ポルトガル語でキチンと説明できる人がどれだけいるだろうか。というか、日本語で説明することも難しいだろう。

 いきおい、ポルトガル語をあまり使わないで日本語教育、日本舞踊、書道、お茶、お花、音楽などを熱心に教え、その繰り返しの中から生徒に自分で「日本文化」を感じ取ってもらうというのが、今までのやり方だったのではないか。

 一般的に「正直さ、勤勉さ、真面目さ、辛抱強さ、教育尊重」などが日系人の特徴と言われている。ぜひ継承し続けてほしい点だ。

 だがそれは「日本人らしい生活態度、生きる姿勢」であって、日本文化の一部でしかない。そのような態度で、何らかの文化的な行為に徹底して取り組むから、結果として、他の国で行われる類似した文化的行為とは別の「日本文化ならではの結晶」が生まれる。その姿勢と結晶の総体が、日本文化ではないか。また「なぜ、そのような日本独自の生きる姿勢が生まれたのか?」という問いに答えることも難しい。

 そのような「日本文化の本質は何か」に関わる一連の問いに対し、本紙土曜日付けでおなじみの伊勢雅臣さんは、新著『日本人が知らない日本2』(育鵬社、2019年、以下『日本2』と略)で「和の国という根っこ」だと明快に答えて、その思想の歴史的な成り立ちや背景を詳細に説明している。

 

 「和を以て貴しとなす」に込められた辛い経験

 

「唐本御影」聖徳太子が描かれた肖像画(Public domain)

 伊勢さんは第3章「和の国の理想」のなかで、「和を以て貴しとなす」という聖徳太子が十七条憲法に記した言葉を説明している。日本人なら知らないものがないぐらい有名なフレーズだ。「みんな仲良く争わないのが最も良い」という単純な意味だと思っていたが、実際はそうではなかった。

 その言葉に付随して、「上和らぎ、下睦(むつ)びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、即(すなわ)ち事理自ずから通ふ。何事か成らざらむ」(和気藹々(あいあい)と議論を尽くせば、物事の道理が通る、そうなれば、出来ない事などあろうか)という説明が付け足されていたのだ。

 表現を変えれば、「意見の異なる人としっかり議論をすることによって、お互いに論を究め、一緒により高きものを志向する」という意味があるのだという。

 伊勢さんは次のようにその言葉の時代背景を説明する。

 いわく《聖徳太子の憲法十七条は、皇太子かつ摂政という高い地位にある人が世俗を知らないままに、大陸の思想家の文章を切り貼りして、道徳的なお説教を垂れた、などというものではなかった。

 少年の頃から、豪族の争い、内戦、そして天皇暗殺という大事件まで起こした当時の国情をいかに変えていくか、そのために現実の人間性の醜さを凝視した上で、その私情をわずかにでも超えて、人々を「公」に向かわせていくための道が十七条憲法であった。

 そこで描かれた理想は、大陸や半島の専制君主による独裁政治ではなく、私情を抱きつつも公に向かう志を持った人々が「相共により高きものを志向する」という「和」の世界であった》(『日本2』133―134P)。

 聖徳太子は西暦574年に生れ、604年に憲法十七条を制定し、622年に亡くなった。そんな大昔に、日本の指導者はそう考えていた。

 

水野龍もこだわった「万機公論ニ決ス」の精神

  

1877年、ライムント・フォン・シュティルフリート男爵によって撮影された明治天皇25歳の写真(Raimund Freiherr von Stillfried [CC0])

 その考え方が、明治天皇に引継がれ、「五箇条の御誓文」の冒頭、《広ク会議ヲ興(おこ)シ、万機公論ニ決スベシ》(これからは多くの人の意見を聞く場を設け、政治上の大切なことは公正な意見によって決定しよう)(『日本2』151P)に込められている。

 これが発布されたのは1868年3月14日という激動の幕末の真っ最中だ。西洋諸国の侵略の手が極東にまで延び、日本にも国家的な危機が迫っていた。その国難を乗り越えるための心構えとして発表された。

《翌日には新政府軍による江戸城総攻撃が予定されていた。一月には神戸にて備前藩兵がフランス水兵等を銃撃し、欧米諸国の軍勢が神戸市中心部を占拠する騒ぎが起きていた。二月には英公使パークスが攘夷論者に襲われた。「御誓文」はまさに内憂外患の最中(さなか)に発布されたのである》(『日本2』148P)

 この「広ク会議ヲ興シ」の部分は、当時の自由民権運動で盛んに喧伝され、国会開設の原動力となった重要なキーワードだ。

 そこで思い出すのは、第1回移民船「笠戸丸」を運行させた水野龍の、若き日の逮捕劇だ。

 彼がまだ19歳だった1878年、郷里・高知県佐川町の乗台寺境内で開かれた政談会で過激な演説をして、警察に捕まり22日間拘留され、翌1879年4月になって禁獄40日を言い渡された。

若き日に「万機公論ニ決ス」と訴えて、明治政府から監獄に入れられた移民の祖・水野龍(水野家所蔵)

 《水野の批判は、一八六八年の五箇条の御誓文に「万機公論ニ決ス」と明記されているにもかかわらず州会(地方議会)を弾圧することに向けられている》(「水野龍・前半生に関するノート」中村茂生、高知市立自由民権記念館紀要、2008年8月、42P)とある。

 明治政府は当時、五箇条の御誓文に反して、国民の声を代表する国会議員の議論の場「国会」を開設していなかった。当然、州会(今の県議会)もなかった。水野が逮捕されてから11年後、1890年にようやく帝国議会(衆議院)議員の総選挙が実施され、国会が開設された。

 水野龍は、まさに「万機公論ニ決スベシ」の精神を持ってブラジル移民を始め、その後の移民会社運営にも関わっていったのではないか。

 

「和」によって戦争や環境破壊をなくす

  

 個人の意見よりも、広く議論した結果を尊重することは、個人よりも「公」を尊ぶ国柄につながる。その公の軸となっているのが皇室だ。

 伊勢さんは《皇室はひたすら国民の幸せを祈り、国民はその祈りを実現すべく互いの幸福のために働く。わが国はそうした利他心で結ばれた和の共同体であった。教育勅語によって、その利他心のエネルギーをフルに引き出された明治の先人たちが、世界史に残る近代化を成し遂げた。戦後も利他心のエネルギーを引き出している料理やモノづくりの人々が現代世界に多大な貢献をしている。

 しかし、国柄という「根っこ」から遮断された戦後の多くの日本人は、利他心のエネルギーを絶たれている。日本人は経済的には豊かなのに、幸福を実感している人の割合が先進国中でも異様に低いのはこのためだろう。まずは「和の国」の「根っこ」を広く教え、そこから利他心によるエネルギーという幸福感を吸い上げられるようにしなければならない》(『日本2』171―172P)と現代日本への処方箋を書く。

 《世界人類が幸せに暮らそうとすれば、国どうしの「和」によって戦争をなくし、自然との「和」によって環境破壊をなくしていかなければならない。長い歴史を通じて「和の国」の理想も智恵も積み重ねてきた我が国にとっては、国際社会に対して「和」の下で実現される人々の幸せを事実をもって示すことが、「和の国」らしい国際貢献となろう。東日本大震災で世界に示した「和の国」の勁(つよ)さ、美しさはまさにその事例であったし、今上陛下の水問題に関するご努力も、その国際貢献の一端なのである》(『日本2』212P)

 

自然の声を真摯に聞いて和を実現する時代に

 

 そしてこの「和」は、「令和」の二文字目でもある。伊勢さんは一文字目の「令」を、漢字辞典『字通(じつう)』(白川静(しらかわしずか)著、平凡社、1996年)にある「礼冠をつけて、跪いて神意を聞く人の意」だとし、新元号の意味を「神意に適った和」と解釈している。この場合の「神」は、特定の宗教の唯一神ではなく、日本式の「八百万の神」「自然の摂理そのもの」のことだ。

 皇室が常々祈りを捧げているのは、この自然の摂理そのものだ。自然からの声に謙虚に耳を傾けることによって、宗派や国境を超えた世界の和を模索する時代。そんな意味が「令和」にあると、伊勢さんは説いている。

 当地を訪れた日本の日本人が「ブラジルには明治の日本が残っている」と言うことがある。水野龍およびその後継者たちがこの地に残した「明治の精神」が、世代を経ることで、心の軸をブラジル側に変えて、ポルトガル語世界に生き残っているのだろう。

 伊勢さんの『日本2』は日本国内向けに書かれた本だが、「なにが日本文化か」と常々考えている在留邦人、子孫やブラジル人に「日本文化の神髄」について伝えたい日系人にも必読だ。

 日本の「根っこ」はある部分、水野龍の世代からの強い影響を受けた戦前移民の子孫の世代に引き継がれているかもしれない。

 だからこそ、「天長節」という言葉こそ聞かれなくなったが、移民112周年の今年でも聖市立劇場で今上陛下の還暦を祝う天皇誕生祝賀会が、戦前移民の子孫によって厳粛にポ語で行われるのだ。(深)

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