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新日系コミュニティ構築の鍵を歴史に探る=傑物・下元健吉=その志、気骨、創造心、度胸、闘志=ジャーナリスト 外山脩=(1)

下元健吉

 今、コロニアは消えつつある。残り火はわずかでしかない。
 新たな日系コミュニティ(コムニダーデ)形成の流れは存在するが、まだ水勢は弱い。強くしなければならない。そのための効果的な方法、つまり“鍵”を発見するためには、歴史を振り返ってみると効果的である。
 幾つかの鍵が発見できるが、先ず百十余年の日系社会史上、「傑物」の筆頭と言われる下元健吉に着目すべきであろう。彼の生涯は壮烈なドラマであり、業績は革命に等しい。その革命を異郷(異国)で命をかけて成し遂げたスピリット、すなわち志、気骨、創造心、度胸、闘志は、それを知る者を覚醒・発揚させよう。本稿はそういう狙いで制作した。
 しかし新日系コミュニティといっても、その構成候補者の層は、すでに日本語を読まず、下元健吉の名も知らぬ世代が大半を占めている。そこで、本稿をポルトガル語に翻訳、映像(アニメなど)化してインターネットで発信できぬか――とも考えている。
 感受性の強い年頃の若者たちが観賞し、「こんな人物が居たのか、こんな事業を成し遂げたのか!」と感銘を受け、先人の作った歴史に愛着と誇りを抱き、新日系コミュニティを構築する意欲を涵養することを期待できる。
 無論、ほかにも“鍵”を用意する必要がある。が、それは別の機会に譲る。ここでは下元健吉に焦点を絞り、取り敢えず日本語で記事をまとめた。

異郷で“革命”を成し遂げた男

 なお念のため断っておくが、前記した「傑物」とは、いわゆる偉人のことではない。偉人という言葉に明確な定義はないが、一般的には、子供向け偉人伝で描かれている様な人物を想定して使用されている。
 「完璧な人格、偉大にして無謬な業績」の持ち主として――。しかし現実には、完璧な人格の持ち主など、古今東西、存在しない。人間とは、元々そういう風にできていない。誰でも長所と短所がある。その業績も、よく調べると実態は違っていたり、傷跡が現れたりする。
 例えば、少年期を日本で過ごした人々の場合、偉人というと直ぐ頭に浮かぶのが、同国人なら野口英世、外国人ならリンカーンであろう。しかし野口には「金と酒と女にだらしなく、周囲に迷惑をかけ続けた」という一面があった。梅毒の研究では成果を上げたが、有名な黄熱病の場合は失敗だった――と見做す説もある。野口自身が、自分を偉人扱いしている記事を読んで「こんな立派な人間など居るモノか」とシラけたという話もある。
 リンカーンの場合、その偉業とされる黒人奴隷の解放は、実は「人権尊重の思想によるものではなかった。当時、解放運動を進めていた英国に歩調を合わせる外交政策」であった。その証拠に、彼はインディアンを虐待したという。
 一方、「傑物」という言葉から浮かぶイメージは、偉人のそれより生身の人間に近い。「欠点はあるが、並の人間には成し難い何事かをし遂げた人物
ていどの意味で使用されることが多い。
 さらに、世の「傑物」と言われる人物の生涯を調べると、運・不運に大きく左右されている。失敗を繰り返している。事業面では批判されるべき部分も少なくない。だから現実に存在しても不自然ではない。下元健吉は、そういう意味での「傑物」であった。
 次に“革命”という言葉であるが、革命というと、誰でも、まず武力による既存の国家体制の破壊、新体制の建設を思い浮かべよう。しかし辞書をひけば判るが、業界の根本的改革、新社会の建設を意味する場合もある。男なら一度は夢見る事業である。
 下元健吉は異郷で、農業界の根本的改革の先頭に立った。同時に構成員数万の「コチア」という名の新社会を造り上げた。彼はそういう意味での革命を成し遂げた男である。
 また、筆者はこれまで下元健吉については、書物や新聞で何度か記事にしている。従って本稿で使用する素材は、それと重なる部分が少なくない。しかし新しい素材を加え、より深く掘り下げた。(つづく)


□本企画協賛□

【コチア青年連絡協議会】(順不同)
前田 進 
村田 重幸
伊下 碩哉
西尾 雅夫
草島 精二
草島 嘉代子
樋口 香
小管 信義
白旗 信
新留 静
高橋 一水
山下 治
蛸井 喜作
木村 磨澄
黒木 慧
森田 晃
舘野 忠義
羽鳥 慎一
佐藤 吉之助
馬場 功治
益田 照夫
永山 八郎
杓田 正
白浜 清俊
【旧友会】
長田 勝

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