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新日系コミュニティ構築の鍵を歴史に探る=傑物・下元健吉=その志、気骨、創造心、度胸、闘志=ジャーナリスト 外山脩=(3)

後列左から3人目が健吉

 下元一家が味わった苦痛は、実は日本移民の多くが経験したことであった。「金の成る木」は嘘であった。しかも、その宣伝もしくは噂を誰が流したか判らなかった。そのため、苦情を持って行く先がなかった。
 実際の収入は、間作をして当てでもしない限り、僅かなものだった。「間作」とは、ファゼンダ(農場)側からカフェーの樹間の土地を無料で借り、自前で穀物を栽培することを言った。
 ファゼンダ側は、コロノ(農業労働者)が就労後一年くらいして、体力や時間に余裕ができると、間作を許した。その作物が、収穫期が来て市況が良ければ、つまり当てれば、相応の“儲け”を得られた。
 それまでは、殆どのコロノが赤字であった。日本移民はそれを知らずに来ていた。移民会社側は移民募集に際して、漠とした説明はしたが「1年は赤字」などとは言わなかった。言えば、応募する者など居なかったろう。
 移民たちは、ほかにも堪え難い苦痛を味わっていた。奴隷に近い扱いである。当時のファゼンダは、中世の荘園色を濃く残していた。酷いファゼンダでは、コロノに与えられた住まいは家畜小屋同然で、家具も便所もなかった。自分で作らねばならなかった。
 農場では現場監督が馬上、拳銃を腰に鞭を鳴らして怒声で命令した。早朝から夕方まで過酷な労働が続いた。医者も居ず学校もなかった。
 一方、農場主の住居は邸宅であった。中には周囲に回廊を巡らした白亜の殿堂もあった。殿堂の玄関は円錐形の柱が両側に立ち、庭に降りる階段は十数段━━といった豪華さだった。
 農場主はサンパウロやリオなど大都市に住んでおり、時々やって来て、支配人と話して行くだけだった。その婦人たちが来ることもあったが、従者を連れて散策していた。彼らの姿は豊かさを発散させていた。
 ファゼンダの労務者は、元々は黒人奴隷であった。それが1888年、奴隷制度が廃止され、代わりに導入されたのが移民である。農場主や支配人、現場監督の労務者観は、奴隷時代と大して変わってはいなかった。これは日本移民にとって屈辱であった。
 下元一家が入ったファゼンダも大同小異だった筈である。高知県人は誇り高い。特に健吉は、口惜しさは人一倍であったろう。彼は後に資本家や支配者の類に戦闘心を燃やし続けるが、その火種は、ここにあったに違いない。

不運続きの少・青年期

 かくの如くで、日本移民は1年の契約期間が終わると――一部を除いて――ファゼンダを出た。終わらなくとも出る者もいた。夜逃げをしたのである。
 以後の彼らは彷徨の民に近かった。ただ、ファゼンダに居る時から、他の土地に居る同県人と手紙のヤリトリをしていた者が多かった。当時は同郷意識が強く、励ましあったり情報の交換をしていたのである。
 そういう縁を頼り合った者による集落がアチコチにできた。荒れた土地を借りて耕し、畑にした。
 時期は1910年頃からのことである。サンパウロ方面では、郊外や余り遠くない地域に、そういう集落が多数生まれた。その一つに、南西へ20数キロ、ビーラ・コチアのモイーニョ・ヴェーリョでのそれがあった。
 ここは1914年から入植が始まった。以後、入植者は次第に増えて行った。高知県人が多かった。1916年の数字だと、計38戸になっており、内32戸が同県人であった。
 下元一家は1915年、伝手を頼ってここに来た。蔬菜を作ったが、日々の食い扶持にも窮し、他家の日雇いに出て僅かな日当を得、食い繋ぐという有様だった。主食は依然、芋類だった。
 健吉は米の飯食べたさに、月夜にブレジョンをカボウカしたという。稲作用に湿地を整地したという意味である。
 モイーニョ・ヴェーリョの主作物はバタタ(ジャガイモ)だったが、下元家がそれを植えることができたのは翌年で、僅か石油缶一杯分の種イモだった。しかも。以後も長く借地農から抜け出せなかった。
 この時期の健吉は口数少なく、目立たない存在だったという。男というものは、仕事が上手く行かなければ、自然そうなる。子供が二、三人居ても、おかしくない年配になっても、独り身だった。無論、独立もしていない。
 かくの如くで、健吉の少・青年期は不運続きであった。人間誰でも不運に見舞われる。そういう時期は、何をやっても駄目なモノである。が、彼の場合、時期が長過ぎた。その鬱積感も以後の生き方に強く影響したであろう。(つづく)

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