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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(238)

 藤森坂松は1953年2月27日、第一地区裁判所の長官がシーセロ・トレード・ピザのとき、尋問を受けた。山口県出身の藤森は当時、62歳だった。両親は藤森初次郎、藤森キミで、ずっとアララクアァーラに住み、農業をつづけていた。弁護にはジョン・ベルナデス・シルバが当たった。
 また同日に、しみろが同じ判事に尋問を受けた。熊本県出身で59歳だった。アララクァーラからジャボチカバル農場に移転していた。藤森と同じ弁護士がついていた。7年まえ、臣道聯盟の調査を担当していたDOPSのカルドーゾ・メーロ審議官に申し立てしたのと同じことを判事にくり返した。署名した証人者は知らぬ人間で、組織の指導者ではなく、ただの会員で、同市に住んでいた日本人を襲撃したことなどない。本人が住んでいた周辺には襲撃事件などなかったと証言した。
 1953年3月17日、シーセロ・トレード・ピザ判事のあとを受けたプリニオ・ゴメス・バルボーザ判事は、湯田幾江の尋問に当たった。湯田は福島県出身、湯田進とミツの息子で40歳、ずっと、アララクァーラのサンベント街1000番に居住していた。書類によると、弁護士はマンソ・デ・トレードとなっているが、本当はモアシール・マンシオ・デ・トレードだったと思われ。湯田は他のお者と同様に襲撃に加わったことはなく、調書の証人者を知らず、臣道聯盟の一会員に過ぎなかったと証言した。
 正輝の旧友で相談役だった同郷の津波元一は1953年3月23日、プリニオ・ゴメス・バルボーザ判事により調べを受け、また湯田幾江の弁護にあたったモアシール・マンシオ・デ・トレード弁護士だった。
 尋問時の公証翻訳人はジョゼ・サンターナ・ド・カルモだった。(書類にはジョセー カルモ・サンターナとタイプされていた)
 当時、津波はアララクァーラのマタドウロ街70番地に住んでいた。津波だんしち、カマの息子で、57歳、商人。以前の取り調べどおりにすべてを弁護士に任せた。臣道聯盟の一会員であるが、組織の幹部にではなく指導者の会合には一度も出席したことがない。どこかで襲撃があったことは聞いていたが、自分たちの所属支部では一度もなく、襲撃に参加したことはないと証言した。できるだけ早い判決を願い、その承認を得た。

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