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特別寄稿=青春の詩――ウイルス危機にあたり=日系コミュニティーの皆様へ=1993年度日本国練習艦隊司令部付連絡士官2等海佐 サンパウロ市在住 坂尾英矩

青春とは人生の或る期間を言うのではなく
心の様相を言うのだ
年を重ねただけで人は老いない
理想を失うときに初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが
情熱を失う時に精神はしぼむ
人は希望ある限り若く
失望と共に老い朽ちる

 青春の詩    (一節のみ)

 いまさら「青春の詩」とは、110年前の古い詩の一節を何故?と思われるかもしれません。
 ですが、この詩は戦後日本の復興を成しとげた産業界リーダーたちの座右銘であり、戦禍に打ち沈んだ日本国民に勇気と希望を与え、経済成長の原動力にもなったと言われているからです。
 1945年8月15日、天皇陛下の終戦詔書放送後、長津田の兵器補給田奈部隊から母校神奈川県立二中(現翠嵐高校)に戻ってきた私は、米軍が進駐する直前に再び学徒動員されました。

1945年8月2日、マッカーサー元帥(From: U.S. Naval Historical Center, Public domain)

 命令は横浜の由緒あるニューグランド・ホテルを米軍総司令官宿舎とするための緊急整備でしたが、なんと私の担当はダグラス・マッカーサー元帥のスイート315号室だったのです。
 灯火管制下の薄暗い電球を強力ワット球に取り替えるなど結局は掃除夫の仕事でしたが、お昼の梅干し白米おにぎりが嬉しかったのを思い出します。
 数日後マッカーサー元帥が厚木航空基地からホテルに直行して、その携帯品の中にこの詩があったのです。
 東京日比谷の第一生命相互ビルにGHQ(連合軍総司令部)が設置されて元帥は執務室にこの詩を置きました。

軍服姿のジョゼフィーネさん(馬場謙介氏撮影、サンパウロ新聞1981年10月14日付より転載)

 当時GHQで軍属オフィサーとして勤務していた只一人の日系ブラジル人女性、ジョゼフィーネ・マサコ・サイトウ・アテンさんに私はこれについて訊いたことがあります。
 帰伯後サンパウロに住み、かなり高齢で車椅子生活のジョゼフィーネさんは「よく憶えていないわ」という答えでした。女史は終戦直後、国交正常化前でブラジルへ帰れなかった日系留学生約50人をスムーズに帰国させる手筈を促進させた陰の功労者なのです。
 この二世留学生グループの一人で元サンパウロ総領事館顧問弁護士だった平田進連邦議員が私に「マサちゃん(ジョゼフィーネさん)には頭が上がらんよ。えらい世話になった」と語ったほどの尽力者でした。
 マッカーサー元帥は1940年にマニラ米軍総司令官在任中にこの詩をもらって非常に気に入り座右銘として常に手元に置いていたそうです。作者はサムエル・ウルマン(1840~1924)というユダヤ系アメリカ人企業家、詩人、人道主義者で、この詩を書いたのは70歳くらいですから1910年頃です。日本で知られるようになったのは終戦年のリーダーズ・ダイジェスト誌12月号に「How to stay Young」というタイトルで掲載されてからです。
 しかし日本の産業界に広まったのは、マッカーサー元帥が任務終了して帰米後1955年にロサンジェルスで講演した際に引用したウルマンの詩に感動した元米澤工専(現山形大学)森平三郎教授が群馬県東毛毎夕新聞に紹介したのが口火となりました。

日本進駐当初にマッカーサーが宿泊した、横浜の山下公園にあるホテルニューグランド(Kounosu/CC BY-SA)

 その結果トッパン・ムーア宮沢次郎会長や元サンヨー電器、木本陽三社長などを中心に「青春の会」が結成されて商工業界に広がったのです。パナソニック創立者松下幸之助会長は約2万枚を社員、知人に配布したそうです。
 1992年に米国アラバマ州バーミングハム市にあるウルマンの旧宅が取り壊される羽目になった時、経団連副会長だったソニーの盛田昭夫会長が音頭取りで募金を集めて協力、サムエル・ウルマン記念館として設立し胸像も建てられました。また、日本国内には東京、前橋、桐生、米沢、蕨(わらび)の五都市に「青春の詩」の記念碑があります。

サントス港にて「かとり」艦上の筆者(練習艦広報班撮影)

 私は1993年に海上自衛隊練習艦「かとり」に連絡士官2等海佐としてサントス港で勤務した時、訪問先のブラジル海軍港湾司令部の壁にウルマンの詩が「SER JOVEM」というポルトガル語タイトルで貼られていたのには驚きました。
 しかし、米国陸軍元帥ダグラス・マッカーサーと書いてあったので、多分ブラジル海軍では元帥の言葉として伝えられているのでしょう。
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 さて、裸一貫からブラジル農業を世界のトップに盛り上げた先駆者を持つ日系コミュニティーは、史上空前のウイルス危機を克服してブラジル復興の牽引力になると信じております。そしてこの詩が少しでも皆さんの励ましになれば幸いです。
 ところで私自身は、と言えば、かってマッカーサー元帥が退役時に残した言葉「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」という心境であります。

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