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中島宏著『クリスト・レイ』第47話

「あら、マルコスはいつもはっきりと自分の意見を言うわりには、変なところで遠慮するのね。先生という存在を、私から消してしまえばいいのじゃないかしら。そこに残るものは、ただの、大したことのない普通の女です」
「いや、そこが簡単なようで、難しいところですね。だって、今の僕には、アヤがただの普通の女性には見えないというところに大きな問題があるんです。先生というものをそこから消し去ってしまっても、そこにはまだ、何か特別な存在感というものがある」
「その言い方はちょっと大げさじゃないかしら。特別な存在感などというものは、よほど偉い人か、経験豊かな年配の人にしか備わっていないものです。
私は、そのいずれにも当てはまりません。それは、マルコスの考え過ぎというものだわ」
「うーん、そういう常識的な意味での存在感ではなく、もっと違う意味での、何といったらいいのかな、人間的な魅力といったものですかね、そういうものを僕はアヤに感じるのです。見かけから言うと、アヤはたしかに地味な感じで、黙っていればほとんど注目されることがないというふうなんだけど、でも、話を始めると、その内容にちょっとびっくりするようなものがあって、思わず見直してしまうというところがある。
 こんなことを言うと怒られるかもしれないけど、僕が持った最初のアヤの印象は、先生にしては年端も行かない小娘という感じのもので、そんな彼女から満足な授業が受けられるのかと心配したほど、頼りない雰囲気がありました。
 しかし、そんな心配は授業が進んでいくにつれてすっかり消えてしまって、これは普通の人ではないということが段々分かってきた」
「アハハハ、、、私はごく普通の小娘よ。それ以外の何者でもないわ。
 ただね、年のことでこだわるようだけど、私はあなたが言うほど若くはありません。実のところ、私はマルコスより二つ年上なのよ。若く見られるのは光栄なことだけど、でも、そんなふうに頼りないと見られては、それも問題ではありますね。
 あらあら、変なところで年を白状してしまったわね。というよりも、白状させられたというべきでしょうね、この場合は。マルコスにまんまと引っかかったわ」
「引っかかるというのは、あまり品のいい言葉ではありませんね。小娘ならいいですが、先生となると、ちょっと考えものです」
「まあ、これでは、どちらが日本語の先生なのか分からないわね」
「年のことについては、男性が女性に対して訊くのは失礼だということになっていますが、僕の場合は、決してこちらから訊いたわけではありません。僕は今まで、どなたからもアヤの年齢について何も聞いたことはありませんから、念の為、それを確認して置きます。訊きもしないのに、自然に耳に入ってくるのは、いわばそれは事故のようなものであり、偶然というようなことですね。
 それにしても、アヤが僕より年上だったということは、これはまた、もう一つの驚きだな。とすると、内容が伴っているということも道理ということにもなるから、納得すべきことかもしれないね」
「年齢の話は、もうやめて置きましょう。いずれにしても、二つ上であろうと下であろうと、別に深刻な問題になるわけでもないでしょう。でも、マルコスに私の年が分かってしまったことは、私にとってはかえって、すっきりした気分だわ」

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