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中島宏著『クリスト・レイ』第61話

「そうですね、もし、世界中の人間が同じ発想だったら、アヤも言うように世の中は何も変わって行かなくて面白くないし、第一、移民するという考えも起きてこなかったでしょうね。そうなると、たとえばこの僕も、ここには生まれていなかったことになるね。僕のお爺さんがブラジルに移民してこなければ、今の僕の人生も存在していなかったわけだから。そうなるとこれは、まずお爺さんに感謝しなければならないということになりますね。よくぞブラジルへ来てくれたということでね、アハハハ、、。
 そういうふうに考えるとなるほど、移民というものの意味が分かってくるし、思い切って国を移して生きていこうという意気込みも分かるような気もします」
「どちらかというと私もそういう発想をする人間だから、ブラジルへ移民するについても、仰々しい覚悟をすることなどなかったわね。むしろ、新しい世界で思いっきり生きて行こうというような希望の方が大きかったわね。
 もちろん、私一人だけの力では何をすることもできないでしょうけど、でも、この国に入り込んで、私なりに一生懸命生きていけば、それなりの結果が必ず出てくると信じているの。まあ、マルコスから見れば甘い考え方ということになるのかもしれないけど、でも、この国がこれからの自分の人生にとって本当の舞台になるのだと考えれば、それだけでも大きな生きがいを感じることができるわ」
「いや、それは決して甘い考え方ではなく、しっかりと大地に足が付いた堅実な考え方だと思いますよ。そういうふうに考えていれば、アヤもこれから先、立派なブラジル人になっていくことは間違いないだろうね。それに、アヤのように強い信念を持っていないと、こういうまだ、未完成の国では、どうしても環境という大きな波にさらわれてしまうことになりかねないでしょう。
 実際、そういう挫折した移民たちの話も日本人に限らず、実に多いことも事実だから、大事な点はいかに自分というものを見失わずに、強く持続させていくことができるかどうかということでしょうね。現実はたしかに、簡単なものでもないし、決して夢のような展開が見られるわけでもないけど、しかし、この国に間違いなく可能性があるということは、あなたのような信念を持っている人にとっては、大いに希望が持てることになるでしょう。そうじゃないですか、アヤ」
「そうね、私が感じるこの国の良さは、まさにその可能性があるという一点だと思うの。そのことは必ずしもすべての人がうまくいくという保証には繋がらないけど、でも、少なくとも、その可能性に向かって生きて行けるということは素晴らしいことだと、私は思うわ。やはり人間というのは、何かはっきりした目標を持つことがどうしても必要だし、特に私たちのように移民として国を移り住むという者にとっては、そのことは絶対的な条件のようにも考えられるわ。
 私の場合は確かに、教会というものに世話になっているから、今のところ生活には何も困らないけど、でもそれはいつまでも続いていくというものでもないし、いずれ、自分だけのものを作り上げることが必要になってくるでしょうね」

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