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中島宏著『クリスト・レイ』第68話

プロミッソン


 マルコス・ラザリーニは、はっきり言って当時の日本移民のことについては、ほとんど何も知らなかったといっていい。日本語を覚え始めるまでは、特に日本に対する関心や興味があったわけでもない。無論、彼らたちの存在は知っていたが、それが自分たちの生活と直接的な繋がりもなかったし、いってみれば別世界の住人たちというふうな感覚で、日本人移民たちを見ていた。日本語がまったく分からないブラジル人たちにとっては、ある種不思議な、そして、時には不気味な雰囲気を持つ人々という印象が、日本人移民にはあった。不気味というのは、別に深い意味を持つものではなかったが、何を考えているのか分からないところや、喜怒哀楽をブラジル人のようにはっきり示さないという点が、いささか変わった人々であるというふうに映った。
 それと、彼らは集団を好み、あまりブラジル人たちと積極的に話をしようとするところもなく、どちらかというと、そういうことを好まないという雰囲気が、彼らの間にはあるように見えた。日本人はブラジルの国に同化しないということをマルコスも聞いていたし、実際に彼らの行動を見ていると確かにそうだと思えるふしが多々あった。
 要するに、マルコスにとって日本人移民たちは、やや距離を置いて付き合う人々であって、そこには、親しくなってアミーゴと呼び合えるほどの親近感が生まれてくるような雰囲気はなかった。ただ、そうだからといって、そのことで彼らを蔑視するとか、差別するとかということにはならなかった。その辺りは、この国の人間の持つ大らかさや、心の広さ、そして、人の良さから来るものであったのかもしれない。
 しかし、実際に日本人移民の社会の中に入り込んでみると、そこにあったものは意外にまともなものであり、マルコスがそれまで考えていたような、不気味さとか違和感というものは、少なくとも彼がイメージ的に抱いていたような形でのものは何もなかった。マルコスから見れば、日本人たちはこのブラジルに時期的に遅れてやって来た移民たちであり、その為に、この国に対する同化に戸惑っているだけだというふうに映った。
 現実にはそれほど単純なものでもなかったのだが、それでも、ある程度の部分までは、彼の見方が正しかったといえるであろう。そのことを、彼は日本語を覚えることによって徐々に理解していったのである。
 たしかに彼ら日本人は、東洋から来た人々ということで、ブラジル人にとっては珍しい人種であり、言語も習慣もまったく異なる、いわば異質な人々であったのだが、しかし、彼らと付き合い、彼らを知ることによって、最初抱いていた違和感というものは徐々に消えていき、それらのものはほとんど何も感じられなくなっていった。
 結局、基本的にはどこの国の人間であれ、それほど変わるものではないということを、マルコスは理解し始めていた。彼らもまた、マルコスの祖父たちのように、遥かな遠い国からここへやって来て、この新世界で新たな人生を築こうとしている。彼らの持つその目的や希望は、祖父たちが遠い昔持っていたものとまったく変わらないものであり、それと同じ道を今、進みつつある。

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