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中島宏著『クリスト・レイ』第69話

 そこにあるものは、移民としての熱い思いと燃え立つような高揚感であり、それは、世界中からこのブラジルに渡ってくる人々に共通して見られるものであろう。その点に関しては、見かけは違っているものの、その意図するところはすべて、同じものであった。
 ただ、アヤの話にもあったように、日本人の場合はその多くが短期的な滞在の、いわゆる出稼ぎ志向の者が大半であった。
 が、しかし、結局それは、本来の移民としての形、つまり永住ということになっていくのではないかと、マルコスは考えている。現実に、彼らの間で大成功して、日本に帰った者がいるということは、ついぞ聞いたことがない。アヤの説明では、最初の日本からの移民がブラジルに来たのは、一九0八年の六月だったというから、それから数えると今日まで、もはや三十年の歳月が流れている。そして、少なくとも現状では、彼ら日本人の大半は、まだ厳しい生活環境にある。とても一家揃って日本に錦を飾るという形で帰られるような余裕はまるでないといっていい。
 もっとも、このプロミッソンの町のゴンザーガ区に寄り添うようにして暮らしている、この植民地の人々の場合は、ややその事情が違うようである。
 そのことは、アヤからも以前に聞かされていたことではあるけれど、いわゆるこの隠れキリシタンの末裔の人々は、もともと最初から、日本へ帰るという選択肢はまったく持っていなかった。そのことは、マルコス自身が、この植民地に住む様々な人たちと話すことによっても明らかになっていったのだが、ここの場合は、他の日本人移民たちとは、かなり違った思考と目的を持っていたということは間違いないようであった。
 むろん、移民としてこの新世界に来た以上、成功することが最上の結果であることは間違いないのだが、しかし、このゴンザーガ区の人々のほとんどは、たとえ大成功したとしても、それによって日本に帰国するという発想は生まれて来ないようであった。
 そういう点からいえば、彼らの持つこの思考は、イタリアからやって来た、マルコスの祖父のそれとまったく一致していたといえる。つまり、そこにあるのは本来の意味での移民であり、自分たちの人生を完全に新世界に移し替えようとする行為に繋がるものであった。後ろを振り返るという可能性は、ここにはほとんど存在しない。
 ここで少し、日本人移民たちの背景を眺めてみる。
 出稼ぎというものをその目的としていた、当時の大半の日本人移民たちは、いわゆる永住を目的とする本来の形としての移民ではなかった。もちろんそこに、彼らの落ち度とか、無責任さがあったといった批判は当たらない。それほどこの時代の日本は貧しく、明日への希望がほとんど閉ざされていたような状況下では、一時的に海外へ脱出することによって、そこに活路を見出すという手段をとることは、ある意味で止むを得なかったといえるであろう。つまりそこには、次の世代を考えての移民ということではなく、もっと切羽詰ったといっていいほどの、現実的な問題が横たわっていたのである。

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