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中島宏著『クリスト・レイ』第109話

 ただね、このブラジルが安住の地だと思っていたのが、最近はその印象がちょっと崩れてきたようにも見えるわね。いえ、それは別にブラジルに失望したということじゃなくて、何というのかしら、もっとこの国に対して現実的な見方をするようになったということかもしれないわ。所詮、理想的な国というものはあり得ないから、それが当然なのでしょうけど」
「あまりにも多くの移民がこの国に押し寄せてきたことに対する、警戒心とでもいえる反応かもしれませんね。急激にこのブラジルが外国人ばかりで溢れ返るというのは、やはり、一つの独立した国にとっては脅威ということにもなりかねませんからね。
 でも、今この国で起きつつあるナショナリズムというのは、それほど根が深いものでもなく、言ってみればこれは、一時的な現象なのではないかと僕は考えています。今までのブラジルには、このような流れは起きてきませんでしたから、そういう意味ではむしろ、自意識に目覚め始めたということになるのかもしれません。
 植民地としてのブラジルの歴史が長かった分、国民の中からこのような意識が生まれてくるのが遅かったともいえます。別にこれは、ドイツ人、イタリア人、あるいは日本人はけしからんという発想ではなく、あくまでブラジルという国を国民自体に再認識させ、この国を再構築していくという目的を持った政策であると僕は見ています。
 そういう意味からいってもこの現象は一過性のもので、そんなに深刻に受け止めることはないと思いますね。確かに、外国人には制約が課せられ、ブラジル人と同じ権利は認められないという面もありますが、しかし、今までがそういうコントロールがなさすぎたともいえます。ブラジル人以上に外国人が優遇されるということはあり得ませんし、世界のいずれの国でもそのことは、常識的なものとして認められていますよ。要するに、ブラジルもようやく世界レベルの規範を取り入れるという段階に入ってきたということでしょう」
「政治の仕組みというものは、私はあまりよく分からないけど、どちらにしても、私たちのような外国人が、不当に差別されることや、ブラジル人ではないからということで理不尽な扱いを受けるということだけは避けてもらいたいわね。もっとも、こんなことマルコスに文句言ってみても仕方のないことなのでしょうけど。
 まあ、外国人としてはあまり制約されることなく、自由に行動しながら、思うようにこの国で生きていければ、それが理想ということになるのかしら。
 もっとも、よそから来た人間が、あまり大きな顔をするのも問題でしょうけどね」
「ところで、アヤ。これからまだ、外国人に対する制約が厳しくなって行くと思うけど、アヤ自身はどう考えているのかな。いや、つまり、そのような状況になっていっても、ブラジルに住み続けていくということには変わりないのか、それとも、あまりこの締め付けが強くなっていったら、やはりあきらめて日本へ帰ってしまうのか、あるいは他国へ再移住するとか、そういう発想が出て来るということはありませんか」
「ない。全然ないわ。その可能性はまったくゼロでしょうね。
 いい、マルコス。私たちは新しい世界を求めて、遥々遠い東洋の島国からここまで移民して来たのよ。そう簡単にあきらめて日本に逃げ帰ってしまうことは考えられないわ」
「別に、逃げ帰るというほど大げさな発想じゃなくて、まあ、ブラジルは思っていたほど大した所ではなかったと考えれば、もっとよりいい国に移るという選択があっても不思議ではないと、僕は思いますけどね。それも、生きていく上での一つの知恵と言えるでしょう。アヤはそう思いませんか」

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