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中島宏著『クリスト・レイ』第126話

 もちろん、宗教に関していろいろな勉強はしてきたけど、それは私自身の為というか、個人的な興味本位での勉強だから、決して本格的なものではないの。
 だから、もし本当に教会の仕事に徹するというのであれば、今の私にはその資格はないわね。まあ、事務的なこととか、ブラジル人への対応とか、その他諸々の雑用をこなす程度のことなら、今の私で何とかなるでしょうけど、でも、もっと、それ以上のレベルということになると、とても私には無理ね。日本語学校の教師にしても、私程度のレベルでも何とか勤まったということなんだけど、それ以上のことになると、まず可能性はないわ。
 でもね、今こうしてマルコスと話していて思ったのは、むしろ、教会は私を今のままの形で置いておこうと考えているのじゃないかしら。つまりね、教会に直接属する、宗教関係の人間としてではなく、総務的な仕事を手伝わせるというような、そういう目的があるのではないかと思うの。そういうふうに考えれば、今、私がやっていることも納得できそうね」
「あるいは、アヤの言う通りかもしれない。でも、仮にそうだとしても、現実には君のように仕事がこなせる人物は、周りを見渡してみても誰もいないよ。そういう意味でも、今の教会にとっては、君はなくてはならない存在ということになるね。
 あの、アゴスチーニョ神父にしても結局、君のそういう面を以前からよく見ていたということじゃないかな。アヤもさっき言っていたように、君の場合は、同じ移民でもかなり特殊なケースだったのは、そういう日本からの教会の働きがあったから実現したといえるのではないかな。そうなるとアヤ、これは僕が予想しているように、君はこの教会からは簡単に出られないことになりそうだな。これも、ひとつの運命だと思ってあきらめるより仕方がなさそうだね」
「まあ、人ごとだと思って。こういうデリケートな問題に、そう簡単に結論を出すものではありません。マルコスにとっては、大したことではないかもしれないけど、この私にはすごく大変で、かなり重い問題でもあるのよ。その辺りのことを思慮深く、真面目に対応するのが本当じゃないかしら。少なくとも私たちのような、近しい友人同士という間柄ではね」
 どういうものか、平田アヤはポルトガル語になると、日本語よりももっと自由で、思い切ったことが言える。それはポルトガル語を話すマルコスが、日本語よりぐんと近くに感じられるのと同じ理由なのかもしれない。おそらくそれは、ブラジルという風土が、そのように開放的な雰囲気で話せる空気を作り出しているということなのであろう。同じ環境ながら、それが日本語になると、どうしても微妙に変化して、やや自ら引いてしまうような雰囲気になってしまう。その辺りの機微が結構面白いと、アヤは漠然と考えている。
 あまり相手のことを考慮することなく、言いたいことを直接言えることは、ある意味で快感を伴うものであり、会話の相手にも、もっと親近感が増していくという手応えがあった。
 マルコスもいうようにそれは、アヤがすでにかなりブラジル化しているということでもあったが、彼女の性格に、もともとそのような面が強くあったということが影響していたといっていい。とにかく、彼女は変な外国人であったし、彼女のような存在は、日本人移民の人々の中でも極めて珍しいものであったことは間違いない。
 日本人から見ればそれは、日本人離れした人間であり、思考の形がひどく広漠としたものを持っているという点で、ちょっと理解しがたい面を持っていた。

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