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中島宏著『クリスト・レイ』第134話

 特に、このブラジルのように不気味な国では、あら、ごめんなさいマルコス、私たち日本人から見るという意味ね、これは。こういう未知の国では、その強いはずであった意志の力も、だんだん時が経つにつれて弱くなっていき、ともするとそれが押し潰されそうになってしまうことだってあるの。実際に、その圧力に抗し切れなくなって消えていってしまった人たちも沢山いるわ。それがつまりは、移民の現実ということでもあるのね。
 私だって、移民としての経験を持っているから、その辺りのことがよく見えるけど、でも、その経験が果たして他の人たちにも役立つのかというと、一概にそうだとも言えないわ。それぞれの人生が違うように、すべての人たちが持っている生き方はどれ一つ一様のものはないから、たとえば、私の経験が隣の人に役立つかというと、決してそうではないわけね。
 結局、移民というのは、人々の一つの大きな集団として捉えられがちだから、すべて同じようなものだというふうに、一括りに考えてしまうけど、実際にはそれぞれが千差万別で、どれ一つ同じものはないということなの。
 そこに気が付いたとき、ああ、私は自分の解釈で、思った通りに生きていったらいいんだというふうに考えが変わっていったのね。つまり、外国人の集団の一員としてとどまっているより、個人としてもっとブラジルの社会に入っていくべきだという考えに変わったということなの。
 私のこの国での目的が同化ということであれば、そのことは当然な道でもあるし、だとしたらそれは、早い方がいいという結論になったわけ。言うところの個人主義という形になるけど、それがこの国での生きていく上での流儀だったら、そうするべきだと私は考えたわけね。
 これが、この国での短期的な滞在だったら、何もそこまでする必要はないけど、でも私の場合は移民であり、永住ということなのだから、これはやはりこちらから積極的に変えていった方がいいし、変えていかなければならないと強く感じるようになったの。
 マルコスが私のことを、変な外国人だと言うのも、ある意味で正しい評価だと私は思ってるわ。だって、それだけ外国人よりはブラジル人的なところを持っているというふうに見られたのだから、まさにそれは、私の目標としているところでもあったということね。
 結局ね、移民ということは、最終的にはこの国の人間になって行くということだから、そこにはっきりした目標を定めて置けば、この後の生き方がもっと楽で、何事もスムーズにいくのじゃないかと、私は信じてる。マルコスのお爺様だって、そういうところを経て、その国の人になっていったわけでしょう。そうでなければ、マルコスという人間は、このブラジルには生まれていなかったはずよ」
「アハハハ、、、それはまさにその通りだね。うちの爺さんが、ブラジルが気に食わないと言ってイタリアに帰ってしまっていたら、確かにこの僕という人間はここには存在していなかったことになるからね。そこにまあ、移民というものの持つ面白さと重要さというものがあるわけだ。
 ところで、アヤの言う、ブラジルに同化しようという気持ちは非常によく分かるけど、一方で、心情的な面で、君の祖国である日本を捨てるということに対する抵抗というか、心の引っかかりのようなものはないのだろうか。これから、この新世界に魂を傾けるようにして生きていくにしても、そこには、自分の育った祖国を顧みるというような感情はないんだろうか」
「まったくないと言えばうそになるけど、私の場合はあえて、それを考えないようにしているの。私も以前、祖国を捨てるという表現を使ったと思うけど、私の中でも一面、そういう気持ちがあることは確かね。

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