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中島宏著『クリスト・レイ』第144話

 それは、終点が見つからない、結論が見出せない、底の見えない不気味なもののように私には感じられたわ。だから、余計苦しかったとも言えたわね。
 でもね、悶々とした後、ある日突然というような形で、私なりに納得できたの。
 何百年の歳月をかけて必死に守り続けて生きてきた、隠れキリシタンの人たちの系譜と歴史の意味は何なのかということを考え、その流れの中に牛島あきさんの人生を繋いでみると、そこにあったものは、それこそ気の遠くなるような犠牲の積み重ねであり、自己主張とはまったく反対の、ひたすら自分というものを抑え続けるという生き方だったのね。
 もちろん、牛島さんの不運は、過去の隠れキリシタンの人たちの犠牲とは異質のものではあるけど、でも、自分を犠牲にしてでも、その形を次世代に繋げていくという点では、まったく同質のものではないかと私は思ったの。
 そしてその流れを、私も間違いなく受け継いでいるのだ、と、そう分かったとき、私は自分でも驚くほどの身震いを感じ、めまいにも似た衝撃とともに大きな感動を覚えたわ。
 ああ、そういうことだったんだ。
 牛島あきさんが生きた意味は、そこにあったんだ。
 自己犠牲と呼ぶものは、それは決して犠牲ではなく、大きな流れを無窮の彼方に伸ばしていくための、明快な目的を持った強い生き方なのだ。それは、消極的な生き方ではなく、生命の継続をあくまでも肯定的に捉えた、心の芯にある大切なものを明快な形で燃やし続けることができる、真に勇気のある生き方なのだ。
 私は感激しながら、そう納得したわ。
 この結論が、正しいのか正しくないのかは、私にとって大した問題じゃなかったわ。とにかく、あの瞬間に私は、何ごとかを自分なりに掴めたという、そのことが自分にとってものすごく大事なことだと悟ったの。
 何しろ、そのときまでは色々な問題で頭の中がごっちゃになり、私としては八方ふさがりという状態だったから、その苦しさをこのとき一挙に突き抜けられたという感覚があって、一瞬、ワーっと叫びたい衝動にかられたわ。
 このことがあってから、私に心のゆとりができていったようで、その後はこの問題について深く悩むということもなくなったわね。もちろん、それは、私の独りよがり的なところもあったけど、一度私なりに結論を出した以上、そこからまた後戻りすることはないし、それをしていたらいつまで経っても前へ進まないから、ここはもうはっきりと決断し、それ以上は考えないことにしたの。
 先に行ってまた、このような問題で頭をぶつけることもあるでしょうけど、その時はその時で、真剣に取り組めばいずれ答えも見つかるはずだと、割り切って考えることにしたわ。隠れキリシタンの末裔として、こういう問題に頭を突っ込まなければならないのも、いってみれば私にとっては宿命みたいなものだから、その点は仕方がないとも思ってるわ。
 でもね、一方でこういう悩みや疑問を持ちながら生きるというのも、これはこれで大きな意義があるというふうにも考えてるの。少なくともそれは、何も悩まず、何の疑問も持たない生き方よりは数段、意味のある人生といえるのじゃないかしら。

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