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特別寄稿=ウチナーンチュの懐深さに感謝=沖縄県への支援要請訪問記=ニッケイ新聞東京支社長 輿石信男

那覇商工会議所の福治嗣夫(ふくじ つぐお)専務(中央)に要請書を手渡す。専務から向かって右に當間議員、谷元秘書

 さる4月22日、台風2号で雲行きがあやしい中、下地幹郎(しもじみきお)衆議院議員のご尽力により、朝9時半の沖縄商工会議所を皮切りに、當間盛夫(とうまもりお)沖縄県会議員の先導にて、日本海外協会の林隆春理事長、衆議院議員下地幹郎公設第二秘書の谷元智一氏とともに沖縄県内7カ所を支援要請に回った。
 下地議員からも事前に資料を送ってお声がけいただいたこともあり、また最も多くのブラジル移民を送り出している県として日系社会におけるメディアの重要性を理解していただいており、訪れる先々で温かい支援のお言葉をいただき、ウチナーンチュの絆と懐の深さに感動をした。
 まず那覇商工会議所の福治嗣夫(ふくじ つぐお)専務は座るなり、県とも連携し、会員企業、関連団体にも連絡を取り、寄付、支援を検討しますと言っていただいた。また、来年の「世界のウチナーンチュ大会」の告知などの広告面でも検討いただけると言う心強いお言葉をいただいた。

沖縄県議会では仲田弘毅(なかだひろき)副議長(左から3人め)に要請状を手渡す

 次に訪問をした沖縄県議会では、当日お会いした仲田弘毅(なかだひろき)副議長から沖縄から中南米に多くの移民が渡っていることは十分承知をしている。現在の赤嶺昇(あかみねのぼる)議長もブラジル生まれという縁もあり、議会・県庁とも連携して支援をいただけることとなった。

沖縄県庁で文化観光スポーツ部宮城嗣吉(みやぎつぎよし)部長(左から二人目)に要請状を手渡す輿石支社長。左が日本海外協会の林隆春理事長

 さらに沖縄県庁を訪問し、文化観光スポーツ部宮城嗣吉(みやぎつぎよし)部長と面談。都道府県知事会からも案内をもらっていたということで、ブラジルの日系人約200万人のうち、1割が沖縄移民であり、今後二世、三世を含め、日本の生活文化を継承するのに大事な媒体としてご評価いただき、県議会と連携して、一年延期になって来年10月を予定している「世界のウチナーンチュ大会」の告知も含めて検討していただけることとなった。
 これまで海外の移民の中でも大変多くブラジルから参加してもらっているが、高齢者も多く、来年はコロナも鑑みてリアルなイベントだけではなく、オンラインの開催を検討しているとのことで、メディアとしてしっかりと伝えていきたいところだ。
 また、コロナ禍の新しい母県と県人会の交流の形として、静岡県の取組みを説明したところ、當間議員からも県と議会でぜひ静岡県以上の取り組みを検討していきましょうと言っていただいた。

宜野座村の當眞淳(とうまあつし)村長に要請状を手渡す

 お昼を挟んで午後は、那覇から車で1時間をかけて、たどり着いた宜野座村は阪神タイガースのキャンプ地としても有名な村であるが、當眞淳(とうまあつし)村長は宜野座村(ぎのざそん)からのブラジルへの移民が多く、県内での村レベルでの研修生の受け入れは、この宜野座村が最初であったこともあり、現地の村人会との交流も必要になっていくので静岡県の例も参考にしながら前向きに検討をしていただけることとなった。
 當間議員からも商工会議所、県議会、県庁なども訪問し、積極的に支援をしていく話になっていることをご説明いただき、村長もぜひお互いに連携をとりながら支援をしていきましょうというお言葉をいただいた。

 続いて、金武町(きんちょう)の仲間一(なかまはじめ)町長を訪問。すでにブラジルには4−5回訪問をされているとのこと。金武町は沖縄移民の父「當山久三(とうやまきゅうぞう)」の出身地でもあり、この20年は現地町人会との交流に力を入れているとのことであった。ブラジルは南米でもコロナ禍が一番厳しい状況であることは理解しているので、少し勉強をさせていただき、広告等も含めて支援させていただきますという温かいお言葉をいただいた。
 中城村(なかぐすくそん)の浜田京介(はまだけいすけ)村長もこれまでブラジルには2回訪問されており、一時ペトロブラスが事業を行っていたこともあり、ブラジルとは深い縁がある。そして、同村からの移民も多いので賛同する人は多いと思うとのことで他の自治体や県とも相談をして、積極的に支援を検討していただけることになった。
 今回の請願行脚の最後は一般財団法人字小禄(あざおろく)財産管理運営会であった。

一般財団法人字小禄(あざおろく)財産管理運営会の高良忠清(たからちゅうせい)顧問らに要請状を手渡す

 小禄からのブラジル・アルゼンチンへの移民は大変多く、独自にブラジル小禄人会と交流をしている。5年ごとの移民周年行事には小禄からも参加しており、特に百周年にはかなりの代表団を組んで現地を訪問し、大変な歓迎を受けた。その際にもニッケイ新聞に大きく取り上げていただいたことをよく覚えている。今回、下地幹郎議員から直接ご連絡をいただき、現地日系社会にとっても大事なメディアが大変な状況になっていることをお伺いし、昨日の理事会でもできる限りの支援をしなければならないということになり、広告という形で協力をさせていただくことに決めました。と、我々が請願にお伺いする時点で既にご支援を決めていただいており驚くとともに感動を覚えた。今後、どのような内容にするかは、高良忠清(たからちゅうせい)顧問と弊紙で検討をしていく約束をして小禄を後にした。
 貴重なお時間をいただき、温かいお言葉をいただいた沖縄の皆様には紙幅の終わりに御礼を申し上げたい。

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