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安慶名栄子著『篤成』(7)

 友人や近所の仲間たちが集い、すぐに新しい家を建て始めました。当時、田舎のほとんどの家は掘っ立て小屋で、特に難しい作業ではありませんでした。
 政孝さんが直面した悲しみや苦しみは、当時の日本人移民の間では数多く発生していて、様々な面で共通点もありました。その反面、多大な苦しみの代償とでも言えようか、奇跡とも思える超力による問題の克服、或いは神の摂理とも思える奇跡のような実例も数多くありました。
 当時、一つの奇跡的な出来事がとても話題になりました。
 とある日本人移民の家族がある日突然、大洪水に見舞われました。いつもの洪水とは大違いで水量が猛スピードで壁をグングン上がっていくのを最初は唯呆然と見ていましたが、水嵩が身の前に迫り、直ちに夫婦と3人の子供、家族全員掘っ立て小屋の屋根によじ登った。家はすぐさま浸水、茅葺屋根に必死につかまった家族は唯々水に流されないようにと願っていた。
 しかし、突然屋根が引き裂かれ、紙の舟が雨の日に樋に流されるかのように、5人の家族をのせた茅葺屋根は荒れ狂った濁流に飲み込まれてしまいました。一家は恐怖に駆られ、恐ろしく崩れかかっていた茅葺屋根にしがみついたまま精一杯叫び声をあげていました。
 すると、突然にグアバの木が現れ、茅葺屋根がグアバの樹に絡まったのではなく、グアバの樹が流されるままになって、わずかに残ったあの家の部分の前に立ちふさがったとでも言えるように出現したのでした。
 すると、奇跡的に家族全員がグアバの樹につかまったその瞬間、茅の屋根が崩れてしまったのです。信じられないというほどの悲劇と奇跡が起きるほんの数ミリ秒の運命の分かれ目がそこで目撃されたのです。実に優れた映画の脚本に完璧なシナリオのような実際に起きたその話は、当時多くの人に語り伝えられました。
 さて、政孝さんの人生の悲劇的な出来事の直後、家が再建され、父は政孝さん家族と住むことに決めました。だが、従兄の心の傷は大きく、とてつもなく深かった。妻と次男のわが子を亡くしたダメージは辛く、政孝さんはそれをお酒で癒そうとしました。けれども飲酒は一時的麻酔のように効くだけで、苦痛の緩和もつかの間に過ぎなかった。
 時が経つにつれて、事態は悪化するばかりでした。寂しさが日増しに重くのしかかる反面、政孝さんは仕事をだんだんときつく感じるようになってきていたのです。
 まだ幼い長男の面倒もままならず、政孝さんはついに息子を沖縄へ連れていく決心をしてしまいました。おじいちゃんのもとへ。それは親子両方にとって極度の苦痛と悲しみを招いたことでしょう。でも、すでに母親と弟を亡くし、今また父親とも離別を余儀なくされている男の子の方がおそらく一番辛かったかもしれない。

第4章 最愛の妻との再会


 ブラジルに戻った政孝さんは小さな荷物以外に別の大事なものを持ってきました。それは父の妻 カマド、私の母でした。

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