ホーム | 特集 | 日本移民の日2021年 | 【日本移民の日2021年】「日の丸を天辺に持っていく」=東京五輪サーフィン日本代表=五十嵐カノアさんに直撃取材=アメリカカルフォルニア州在住「世界がホーム」

【日本移民の日2021年】「日の丸を天辺に持っていく」=東京五輪サーフィン日本代表=五十嵐カノアさんに直撃取材=アメリカカルフォルニア州在住「世界がホーム」

技を繰り出す様子(WAX SUZUKI撮影・提供写真)

 「僕は世界人です。世界中どこでも自分のホームです」――東京オリンピックの新競技サーフィンに日本代表で出場する五十嵐カノア(23歳)さんは本紙取材にそう語り、「サーフィンを通じて世界に様々なメッセージを送りたい」との熱い思いを寄せた。カノアさんは米国カリフォルニア州で生まれ育った。「子供をサーファー」にひいては「世界に通用する人材にしたい」という両親のもと、3歳でサーフィンをはじめ、英語と日本語のほか、ポルトガル語・スペイン語・フランス語も喋れるマルチリンガルだ。メールを通じて本人と父・勉さんに取材をした。

ブラジルでのエピソード

コロナ禍前の大会時の写真(WAX SUZUKI撮影・提供写真)

 カノアさんは12歳からプロの世界に入りアメリカ国外の大会に出場するため飛び回る生活を始めている。大会出場のため幾度も訪伯しており、2015年の大会では優勝するなど好成績を納めている。その際、ポルトガル語でインタビューに応じ、ブラジル内の知名度が高まった。
 ブラジルのサーフィンについて「今サーフィン界はブラジル人サーファーが上位を占めている」と現状を語る。世界のトップサーファーのみが参加できるチャンピオンシップツアーでは「上位3分の1がブラジル人選手」だという。
 だからブラジル人選手の友人も多いというカノアさん。ブラジル人で初の世界チャンピオンになったアドリアノ・デ・ソウザ選手が東京滞在時に、カリフォルニアのカノアさんに電話し、「何をどこで食べたら良い? 洗濯機の使い方を教えて~」と相談が来たことも。
 ブラジルサーフィン界には日系人や日系の血が引く選手も少なくないそうで、日系人選手はなぜか「タコ焼き好き」が多いそう。中でもフラヴィオ・ナカジマ選手とも仲が良く「真面目でサーフィンに取り組む姿勢が良いです」とコメントを寄せた。
 カノアさんは2カ月後、8月11日からリオ・デ・ジャネイロ州サカレマで開催の「Rio pro」大会にも出場予定だ。
 「必ず近いうちに日の丸をてっぺんに持って行きます! 世界中の人たちが感動するように頑張ります!」と意気込み、「ブラジルの試合中に日本食を食べに行きます! 日系レストランの方々よろしくお願いします!」とコメントを寄せた。
 開催間近に迫るオリンピックに対し、「とりあえずコロナの中の開催ってことで色々とまだまだ困難な状況ですがメダルを取りたいです」と意気込む。

曽祖父が新撰組近藤勇の愛弟子

日の丸を肩につけて波に乗るカノアさん

 日本やルーツについての印象を聞いたところ、アメリカでの生活の中で「ファッションやアニメ」などから日本文化を感じる事ができていたという。
 世界を飛び回る中でも各国で日本企業の製品等を見かける事があり「日本ってあんな小さな国なのに凄い」「日本人アスリートも最近凄い」と感心しているとし、バスケットボールの八村塁選手や、テニスの大阪なおみ選手、野球の大谷翔平選手の活躍を挙げる。
 さらに「最近はゴルフの松山選手のマスターズ優勝。その快挙にもビックリしましたが、彼のキャディーさんが試合後にコースにお辞儀をしたのが日本人らしい綺麗な素晴らしい礼儀だな」と感じたという。
 母方の曽祖父が新撰組近藤勇の愛弟子にあたる人物だったという話に「ひいお爺ちゃんは『サムライ』なんだな~って」と改めて日本のルーツを感じたそう。

両親がアメリカ移住した動機

左から11度世界王者となったケリー・スレーター選手、勉さん、カノアさん(WAX SUZUKI撮影・提供写真)

 カノアさんの両親は「世界に通用する人材にしたい」と夫婦でカリフォルニアに移住。実際カノアさんは「僕は世界人」と自称する程にグローバルな活躍をする選手となっている。
 元々サーファーだった五十嵐夫婦は「サーフィンの練習やトレーニングのため海外に行くことが多く、比較的海外の方とのコミュニケーションが多いため、将来子供にはグローバルな環境が大切だ」と思ったのが移住のきっかけだという。
 勉さんの周囲にはサーファー仲間が多く「うらやましい」という意見が殆んどだったという。また、勉さんの父もアメリカ好きだったためビザの取得を手伝ってくれるなど周囲に背を押される形で渡米した。
 移住先をカリフォルニアに決めたのは「カリフォルニアはサーフィン界で多くの才能ある選手がでていたため」。次の候補にハワイ、オーストラリアを検討していた。
 妻の美佐子さんは学生時代にオーストラリアとカリフォルニアにサーフィン留学していた経験もあるものの、渡航してすぐビザの事や仕事の事で困難に直面。「何度も日本への帰国も考えた」という。
 渡米して間もなくは英語が出来なかった勉さん。幸いカリフォルニアは比較的日本からの進出企業や観光客も多く、最初は英語を使わないでも良い日本との貿易を行っていた会社に勤めたという。そこで次第に仲間を増やしていった。
 カリフォルニアで子供を育てる中で感じたことを質問すると「親子の接点の多さ」に違いを感じたという。東京出身の勉さんは「物心ついた頃には一人で塾や習い事に行っていた。一方、車社会のカリフォルニアは学校や友達と遊びに行くのも送迎が必要で、子供と接点が増え会話が多い所が良いですね」と説明する。
 親子の接点のほか家族のあり方にも大きな違いを感じた様子。「アメリカでは18歳で家から出て生計を立てる考えがハッキリしている」と挙げ
「日本は結婚するまで親と暮らす。結婚しなかったら一生親と….それも良いね」とのコメントした。(天野まゆみヴァネッサ記者)

image_print