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特集=『平成学院・天野重知』2期生募集=過去にはUSP合格率70%=「闘いに勝つ」人格教育=10種の専門教師そろえる

平成学院のロゴと『ESCOLA HeiSei AMANO SHIGUENORI』の看板

 『平成学院・天野重知(しげのり)』の来年度の新一年生の募集が始まった。約40年の歴史を持つ同校は昨年末に新校舎を完成させ、コロナ禍の中で今年1月に授業を再開した。天野鉄人(てつひと)理事長経営の下、親も子も楽しく「闘いに耐えて勝つ」人格形成教育をモットーとする浜崎クラウジアみゆき院長、娘の浜崎みわ教頭、担任、副担任、専門教師10人がそろう。過去には同校卒業生の70%がサンパウロ州立総合大学(USP)に入学した実績がある。

左から浜崎みわ教頭、浜崎みゆき院長、経営者の天野鉄人理事長、浜崎マルセリーノさん

 今年1月14日に新校舎で始業式が行われた。新型コロナ禍が猛威を振るった1月から3月までの間に、日本へ帰国した子女を含めて75%の生徒が退出した。徐々に戻って来て現在50%近くまで回復している。
 生徒を募集しているのは次の三つの年齢層。(1)保育所は4カ月から3歳まで。(2)幼稚園は3歳から5歳まで。(3)来年度の小学校1年生。
 午前7時から午後7時までの全日制で授業を行う。午前中は日本文化について教育し、午後からはブラジルのカリキュラムをこなす。
 各教室に担任と副担任教師がつき、ほかに10種の専門教師が教授する。日本語を含む日本文化、そろばん、ダンス、柔道、英語、体育、写真、サーカス、演劇、音楽の専門家が基礎から教える。浜崎院長によれば、幼児から10種類もの専門教育を施す学校は世界にないと言う。
 専門教育の意義は、受験勉強の時期に入った時にその苦しみに耐えて諦めずに努力し続ける精神を養い、達成感を楽しむことにある。
 マッカーサーが明治の将校と昭和の将校の品格の優劣について吉田茂首相に尋ねた時、同首相は和辻哲郎に聞いて「明治の将軍や提督は伝統的な〝修己治人〟の学を修めている」と答えた。
 この専門教育は大学受験の役には直接立たないが、受験勉強の苦しみに耐え、勝つまで努力し続ける精神を養う。己を修め、人を治める品位ある人格を形成するための教育だという。

【年間行事】
 2月=豆まき、3月=ひな祭り、4月=運動会(毎年、父兄ら1千人が集まる)、5月=子供の日(絵本祭り)、6月=フェスタ・ジュニーナ、7月=七夕祭り、10月=文化祭、11月=お泊り保育と卒園旅行、12月=卒園式とお楽しみ会(発表会)。
【お休みコース】
 7月=冬休みコース、12月=夏休みコース、1月=春休みコース。12月から4月まではサンパウロ市カンポリンポ区のサンパウロ日本人学校の生徒を対象に4月から始まる授業の準備クラスが組まれる。

平成学院の歴史と教育理念=「日本語が自然に身につく」

【平成学院の歴史】
 1982年ごろ、浜崎みゆき院長が15歳の時、そろばんの教師を始めた。
 1986年ごろ、院長が19歳の時、日本に2年間留学し、そろばんの資格を取り、日本舞踊を習い花柳流の名取となった。その間、女子短大に聴講生として通い、教育関係の授業を受け日本語を勉強した。お茶、花、太鼓、三味線も習った。
 帰伯して日本人会の会館で日本語教室を開き、幼稚園をスタートした。
 1989年(平成元年)、院長が21歳の時、PUC教育学部を卒業した。
 1995年から1997年まで、栃木県小山市にあるせいほう幼稚園で研修。子供(女子)2人を連れて日本で教育した。親として、教育のプロとして日本の幼児教育の現状を見ることができた。すべてそろばんの教師を通じて紹介してもらった。
 この間、依頼されてデカセギ子弟にポルトガル語を教えた。この体験は現在、日本から進出してきた企業の駐在員子女にそろばん、ポルトガル語を教えるのに役に立っている。また、外国で子女を教育する親の気持ち、子供の心理を理解するのに参考になっている。

【教育理念】
 「日本語が自然に身につく形が理想」だと浜崎院長は考えている。「私の夢はカルチャー・センターを造ることでした」と前置きして、理想の教育理念を次のように披露した。
 「日本の文化を大事にして、日本の伝統的な古典文化を伝えるなかで日本語が自然に身についていく形が理想。人間の心身両面の教育は、どの学校にでもできることではない。
 最近の母親は、自分の子供を教育していくことに自信を持っていない。だから、親から教育していく必要がある。矛盾するけれども、子供を教育することにより、親も生長する。
 コロナ禍の中、新しい教育方法が見え始めている。学校に通えない子供のためには、塾で補強してあげたい。
 日本語だけを教えるのではなく、日本の伝統的な古典文化を伝える中で、日本語がついてくるモダンな教育を実現させたい。
 日系人子女の人格形成は、『日本人の真面目な堅い性格』と『何とかなるというブラジル人の楽天的な軽い性格』とのバランスを取って形成していくのが理想。だから、日系人の子女には日本文化を、駐在員の子女にはブラジル文化を伝えたい」


【連絡先】
Rua Artur de Oliveira, 113 – Vila Ester – São Paulo – SP
CEP : 02535-010
e-mail : atendimento@escolaheisei.com.br
Tel : (11)4240-5525
Cel : (11)95348-1000


【校名の由来】
天野重知(あまのしげのり)、天野鉄人(あまのてつひと)の父
北富士演習場の闘将

「草一本、粗朶(そだ)一束とっていない林雑(りんぞう)補償金はサギだ」という大看板を背にした天野重知(しげのり)。2002年、北富士演習場入り口で撮影

 校名『ESCOLA HEISEI AMANO SHIGUENORI』は天野重知(あまのしげのり)のことで、平成学院を経営する天野鉄人(てつひと)理事長の実父。戦前、富士山の山梨県側にある旧日本帝国陸軍が買収使用していた『北富士演習場』に対して、江戸時代から地域住民が入って専有的に使用、立ち入って生活を支えた「入会(いりあい)権」があると交渉。
 戦後はGHQ(連合国軍総司令部)や『北富士演習場』を使用転換した自衛隊と、ベトナム戦争時にはアメリカ海兵隊のカービン銃の前に〝むしろ旗〟を掲げて文字通り命をかけて闘い、『北富士演習場』闘争を指導、『天野天皇』と呼ばれ、右翼からも、左翼からも一目置かれた伝説的人物として知られる。
 昭和・平成期の農民運動家、北富士農民運動の指導者として『20世紀日本人名辞典』に載る名士。歴代「防衛庁長官」と単独会見した『北富士闘争』の中心人物。
 闘争の原点は「入会権(いりあいけん)」の思想と法研究とされる。戦前の忍野(おしの)村村長時代に、東京電灯(現・東京電力)ダムによる田畑被害補償を農民の実力行使で勝ち取った、と紹介されている。
 1909年1月1日、富士山の北面、山梨県側の麓にある忍野村(おしのむら)・忍草(おぼくさ)生まれ。2003年12月30日、「北富士演習場」入り口に座り込み風邪を引き、肺炎を併発して急逝。享年94歳。

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