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寄稿=オンライン授業と対面は共存できる=コロナ禍後の日本語教育のあり方《1》=ピラール・ド・スール日本語学校教師 渡辺久洋

2019年3月11日東日本大震災の授業(提供写真)

2019年3月11日東日本大震災の授業(提供写真)

 先日編集部に寄せられた《先日、高齢の日本語教師が、泣きそうな声で電話してきました。オンライン日本語講座ができて、「生徒も先生もどんどん奪われていく。今まで私達が築き上げてきたやり方が、ぜんぶ壊されていく」というのです》という声に対して、先週の樹海コラムでは大局にたった意見を聞き掲載した。さらに現場の日本語教師の意見も聞くべく、編集部から聖南西地区の渡辺久洋さんに依頼したところ、次の意見が寄せられたので5回に分けて全文を掲載する。(編集部)

 

 オンライン日本語講座が話題になっていますが、世間で何かが流行したり、次々に新たなものが開発されたり発展していったり、パンデミックのような経験のない状況に置かれ混乱し、冷静な判断がしにくい状況だったりする時だからこそ、安易に世間の流れについていってはいけないなあと思います。
 むしろ、これまでの土台をしっかり固めたり再確認・再認識したりして、本当に必要なことがあり、それに有用なものがあればそれらを利用していく、という自分のペースで落ち着いて物事を進めたいと自分は思っています。
 変える必要があれば変えますけど、ただ「新しいから」「流行りだから」「多くがやっているから」というのは変える理由にはなりません。
 なので、その先生が仰る「今まで私達が築き上げてきたやり方が、ぜんぶ壊されていく」という気持ちはすごくよくわかります。でも、それらは日本語を学習したい学習者にとっては非常に便利で好都合ですし、いろいろなツールは教師にとってもうまく使いこなせば有用でしょう。
 だから、そちらに生徒や教師が流れてしまうのは、今の時点では仕方のないことというか、必然でしょうね。だって、対面が行えないのですから。他の教師の方だって生活があります。ただ、これが「パンデミックが収束して対面授業が安心して行えるようになった時にどうなのか?」ですよね。
 それでも、個人的な心情では、パソコンやコピー機のなかった時代からこれまで何十年も頑張ってこられ、今までブラジルの日本語教育を築き繋いできてくれた大先輩の先生方が、このような状況で、皆にお祝いも感謝もされることなく、現場から姿を消す・引退せざるをえない、というのはすごくやるせないですし、すごく悔しいです。
 コロナ禍で様々なセミナー、研修会、勉強会がオンラインで開かれていて、そこに参加する元気がある教師の声は聞こえてきます。それらの声を拾うことは確かに重要なことなのですが、その数以上に『気づかれない声なき声』『見えていない姿』があり、その存在も決して見過ごしてはいけない非常に大切なことだと思っています。
 「これからの未来をどうするかが大事だ」というような声をよく耳にしますが、過去があるからこそ今があって未来へ繋がるのです。
 もし「その過去は過去で終わったもの」として意識も注目もしない、あるいは軽く捉えるのであれば、過去から学ぼうという姿勢、そして大先輩・先人に対するリスペクトが欠如しているのではないでしょうか?
 自分はピラールに来てから、ピラールはもちろん周辺の町、遠くはドウラードスやバストスなどで大先輩の教師や元教師、長年学校を支えてきた協力者を含め何十人もの先人の方々からお話を伺い、本当に色々なことを学ばせてもらいました。
 そして、言葉や理屈では表現できない純粋な日本語教育に対する想いを感じさせてもらいました。日本から来ていつ日本に帰国するかもわからない自分のような(当時の)若造に対しても、親しみをもって昔の話を何時間でも聞かせてくれ、そして最後は皆笑顔で「先生もがんばって」と期待を込めた声で応援してくれました。(ああ、思い出すと泣きそうです…)(続く)

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