ホーム | 日系社会ニュース | 暁星学園で学んで=「人生の最初」の準備をした――同窓生たち今年も集う=岸本氏が教えた勤勉、我慢、不屈=今も忘れない「勤労寮歌」

暁星学園で学んで=「人生の最初」の準備をした――同窓生たち今年も集う=岸本氏が教えた勤勉、我慢、不屈=今も忘れない「勤労寮歌」

2006年11月29日付け

 「みんな腕白坊主だったのが、いいおじいちゃんになって」。二十年間にわたって暁星学園教師を務めた西原(さいばら)文子さん(91、高知)は、十八日正午から静岡県人会で行われた同学園・勤労部合同同窓会で集まった百人以上を見て、目を細めた。同窓生たちは今年も、思い出話に花を咲かせた。
 創立者は岸本昂一さん(新潟出身、一八九八―一九七七)。一九三二年にピニェイロス区で創立した。三三年から学費を払う寄宿生を受け入れ、そこで日本語などを教える形で一期生の教育をはじめた。三七年頃、資金的な余裕のない苦学生のために昼間賃仕事をしながら、夜学に通う勤労部も作った。男性を対象にした洗濯部、女性中心の裁縫部だ。
 同窓会当日は元勤労生で、日系最大の教育施設といわれるコレジオ・ファクルダーデ・ブラジリアの創立者、坂本・久場・綾子さん(二世、68)も参加した。全生徒・学生数は約二千五百人を数え、九九年からは大学部も設置し、幼稚園から一貫教育を行っている。日系生徒は全体の二割程度だという。
 パラナ州カンバラ出身の坂本さんは、出聖した最初の五六年と五七年の二年間を勤労部で過ごした。「それまでの私はただの田舎者だった。サンパウロでの人生の、最初の準備を勤労部でしたと思う。後に直面するいろいろな困難を乗り越える支えを学んだ」。
 岸本先生から言われた言葉で一番心に残っているのは「我慢」と「がんばれ」だという。「毎週、日曜朝、若者を集めて聖書の講読をしてくれた。とても大事な習慣を教えてくれた」と坂本さんは懐かしむ。
 さらに、七〇年代にラミー生産でその名を全伯にとどろかした市村家、その四男・勝彦さん(二世)・俊子さん(二世)夫妻も姿を現した。市村家は新潟出身という縁もあり、よく岸本先生が雑誌『曠野の星』の取材をかねて泊まりにきていたという。三男の順二さんと勝彦さんは、暁星学園で勉学にいそしんだ。
 勝彦さんはパラナ州に七カ所の大農場を所有し、総面積は二千アルケール。牛は二千頭を飼育し、鶏も十万羽おり、毎日八万個の卵を出荷しているという。さらにさとうきび、みかん、大豆など多角経営をしている。
 「これも暁星で、岸本先生から勤勉さを教わったおかげ」と勝彦さんは笑顔を浮かべる。一歳で渡伯した長男の進さん(88、新潟出身)は現在、四回目のウライ市長を務める。
 長い間、コロニア文学界の指導者的立場にあった故武本由夫さんが暁星で日本語教師をしていた関係で、その子息で現ブラジル日系文学会長の阜夫(あつお)さんも出席し、「みなさんの団結が少しも衰えていないのをみて感激してます」とスピーチした。
 また、母親の瑞子(すいこ、故人)さんが同校教師をしていた縁で文協の小川彰夫副会長も招かれ、「この同窓会がずっと続くことを願っています」と語った。
 通学生は「蜜柑の花咲く丘」、勤労生らは岸本先生作の「勤労寮歌」を五番まで合唱。カラオケを楽しんだ後、最後は全員で蛍の光を合唱し、午後四時ごろに解散した。

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