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連載小説

自分史 戦争と移民=高良忠清=(5)

 ちょうど村の境目の十字路に差し掛かると、そこには五、六人の住民と三人の兵隊が倒れて呻いていた。だが、明日の自分の命も分からない怯えた避難民達は、それを助けようともせず、見て見 ぬ振りをして通り過ぎて行った。  そこから百メートルぐらい離れた小高い山に登ると海が見渡せた。沖には列を組んで驚くほどの数の敵の軍艦が見えた。はっと気づ ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(4)

 二日後、あの日聞いた爆発音は、やっぱりうちの防空壕のすぐ近くで、近所の壕は崩れ落ちて二家族が生き埋めになってしまったというニュースを誰かが持ってきました。  叔母さんはそれを聞いた翌日、「親同然の舅姑たちを後に残して逃げるわけにはいかない」と言って、敵の飛行機があちこちを攻撃する中を、五歳と三歳の子供を連れて村へ引返して行った ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(3)

 その間、私の家族は防空壕で避難生活を続けていましたが、空襲がおさまる夕方ともなれば母は食事の支度にテンテコマイとなります。昼間は煙を立てることは出来ず炊事も暗くなるのを待ってからという毎日が続きました。  ある日、私たちの部落も攻撃を受け、一瞬にして火の海に覆われ、家々は焼き尽くされた。戦争前には消火訓練に励んでいた大人たちも ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(2)

戦争間じか  私が十歳になった頃、第二次世界大戦が沖縄でも始まるということで、日本軍隊がゾクゾクとやって来た。  しかし軍隊の兵舎の準備も無いまま、学校、全ての公共施設を徴用、そして民間の家々も利用して小グループの兵隊達をわりあてた。  やむなく子供たちは学校の運動場に集まって青空天井の教室で勉強をしたが、授業の無い日が多かった ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(1)

 私は昭和十年(一九三五年)、沖縄那覇市字小禄(オロク)屋号新大屋(ミウフヤ)の七男として生まれました。長男から三男までは昭和十一年(一九三六年)に移民としてブラジルにわたり、四男夭死、残った五男、六男、三女と私は両親と一緒に暮らしていました。 シリから一番  七歳なると私は小禄尋常小学校に入学。成績はいつも後ろから数えて一番で ...

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道のない道=村上尚子=(82)

ゴムの樹  アナホーザにある碁会所のそばには、ゴムの大樹がある。  四十年も前には、痩せた貧弱な木であった。建物の陰、しかもセメントの歩道の端で、この木はなんとか生きていた。  人間ならこの環境を逃げ出すことができる。が、この木は耐えた。  そして、動けない木の根は、下へ下へと伸びていって逞しくなり、ついには固いセメントをひび割 ...

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道のない道=村上尚子=(81)

 やがて、二人で外へ買い物に出た。道を歩きながら、ひろ子がしみじみとした声で、自分へとも私へともつかず言っている。 「不思議ねえ……今なぜか昔ママイに色々してもらったことを、思い出しているよ。今まで何も思い出したことがなかったのに。例えば、六歳くらいの頃かしら、ママイが私に服を買ってくれたのを……その服はね、ブルーザ(上着)がピ ...

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道のない道=村上尚子=(80)

     店 じ ま い  七十七歳になった私、もう力仕事は無理となり、今から二年半ほど前に、身を引くことにした。  この頃、このアパートの二階で、月に一回、文章の勉強会が行なわれていることを知った。「たちばなの会」というこのサークルは、二十名ぐらいのメンバーである。この会に、私は関心を持ち、ある日見学をさせてもらった。  第一 ...

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道のない道=村上尚子=(79)

 初めは、彼にも私のポルトガル語が分からなかったのだと思える。しかし、段々私式のポルトガル語が理解出来るようになったのであろう。人間、どんな難しい問題でも、訓練と慣れとで、解決して行くものである。このへんな才能を持った生徒が、私が一言喋るその度に、ポルトガル語で皆に通訳している。  それを全員、真面目に聞いている……まるでカイロ ...

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道のない道=村上尚子=(2)

 又、女性の中には、精神的に参っている人が多く、私に馴染んでくると、身の上話をしたい女性が増えた。しかし、治療中に喋られると、私が集中出来なくて大変困る。適当に聞いとけばよかろうと思うだろうが、話している方は、布団を叩いて泣きながら話しているのだ。  これほど、のたうち回って精神的に苦しむと、体に力が入っていて、なかなか肉体の方 ...

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