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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩

 著書『ブラジル日系社会 百年の水流』(改訂版も)で有名な外山脩氏がこの文章を書いた経緯は、本紙6面に2月26日から4回にわたって連載された「移民百年史出版プロジェクト 唖然、無責任極まる執行部」に書かれた通り。今回はそれを掲載することで、『百年史』に値する内容かどうか、実際に読者に評価を委ねようというもの。「日伯のナショナリズム」と「勝ち負け騒動」の深い関係を、徹底した取材に裏打ちされた、歴史や社会を見通す視野から論じている。(編集部)

第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(45)

ニッケイ新聞 2013年7月17日  常盤ホテルでの失敗に懲りず、翌10月、野村・藤平は、下元健吉と組んで、またも同じ様なことを企てた。日本政府から、国際赤十字社を通じて、終戦の詔勅が邦人社会に届いたのを機会に、10日、各地の代表者をコチア産組の講堂に集めて、その伝達式を行ったのである。  詔勅は英文で打電されて来ていた。それを ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(46)

ニッケイ新聞 2013年7月18日  同じポンペイアの市街地に居た白石静子(既出)は14、5歳であったが、こう思い出を語る。彼女の家族も戦勝派であった。  「ウチの親族に不幸があって、葬儀の時、近くの敗戦派の人が香典を届けに来ました。私は、一緒に住んでいた叔父に言いつかって、返しに行きました。『申し訳ありませんが、これは受取れま ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(47)

ニッケイ新聞 2013年7月19日  また、臣連は、終戦で利敵産業防止運動は必要なくなったため、止めていた。同時に秘密結社から公開団体へ切り換えていた。  事業目的も「大東亜共栄圏への再移住」に変えていた。大東亜共栄圏は、日本の敗戦で雲散霧消していたが、臣連は戦勝説をとっており、健在であると信じていた。  戦勝説、大東亜共栄圏へ ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(48)

ニッケイ新聞 2013年7月20日  既述の憩の園の聞き取り調査の中には、次の様な話も記されている。  女性S「当時私たちはアルバレス・マッシャードへ行って居りました。そこで百姓をしておりました。いとこが街で、仲買商のところに勤めていて、ポルトガル語の新聞で色々な情報を見て、日本は勝ってなんかいないンだ、ものすごい爆弾のため惨憺 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(49)

ニッケイ新聞 2013年7月23日  ところで、その皇室の尊厳を侵し国家を冒?する暴言を吐いたハイセンとは誰なのか?  敗戦認識の啓蒙運動の中心部に居った人々が口にしたという記録や言い伝えはない。また、そんなことは、まず無かったであろう。  一般の敗戦派の中には、居たかもしれない。(筆者の記憶では、日本でも、終戦直後、そういう噂 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(50)

ニッケイ新聞 2013年7月24日  つまり、間もなく始まる彼らの襲撃の真の動機は、認識派史観が言う様な「敗戦認識の啓蒙運動を封じるため」ではなく「敗戦派の中に広まっているという皇室や国家に対する暴言」「軽率で無責任な啓蒙運動に対する怒り」だったのである。 名前は初登場だが、押岩と同じキンターナの住人で、襲撃では山下や日高と行を ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(35)

ニッケイ新聞 2013年7月2日  第二次世界大戦の直後、ブラジルの邦人社会に発生し、約十年続いた諸事件を指す。  では、その諸事件とは何か?  これは、祖国日本の勝敗問題を巡って起きた内紛、襲撃、詐欺などのことで、通説では、次の様になっている。  1945年8月、日本が(負けたのはでなく)勝ったという情報が流れ、邦人の多くがそ ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(51)

ニッケイ新聞 2013年7月25日  連続襲撃事件発生の引き金となったのは、終戦の翌1946年の正月、ツッパンで起きた「日の丸陵辱事件」である。  元旦、郊外にあるクインという植民地で、一入植者が、日本風に、日の丸を掲揚した。それを、夜、しまい忘れていたところ、近くに住むカマラーダが盗んで、翌日、町の警察(州警兵)に持ち込んだ。 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(36)

ニッケイ新聞 2013年7月3日  この〃勝ち負け〃騒動、その実態に関しては、基本的に異なる二種類の説があって、今日に伝わっている。一つは、負け組のそれ、もう一つは勝ち組のそれである。  終戦後しばらくは、勝ち組の方が数が圧倒的に多く、その説が世論を形成していた。が、勝ち組は治安当局の大検挙で壊滅的打撃を受け、さらに日本の敗戦が ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(52)

ニッケイ新聞 2013年7月26日  なお、詰問組の中には、日高徳一もいた。その日高によれば、60年以上も昔のことであり、細かいことは思い出せぬようであったが、こう語る。  「我々7人が留置された時には、通路を挟んで向かい側の部屋に、クインの人たち5、6人が入って居られ、全員殴られたり蹴られたりした跡がアザだらけになっており、ひ ...

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