連載
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(88)
ニッケイ新聞 2013年9月28日 前衛隊 終戦から5年後の1950年11月。マリリアで、いわゆる前衛隊事件が起きた。 そういう隊名の戦勝派50余人が、警察に逮捕されたのである。 ポルトガル語
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(76)
ニッケイ新聞 2013年9月12日 地方で起きた認識派に対する襲撃は、実行者が地元の人間ではないケースが多い。これは、実行者が、狙った相手が住む土地の誰かと、直接もしくは間接に連絡があり、情
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(77)
ニッケイ新聞 2013年9月13日 臣道連盟が指揮したのではないとしたら、7、8月の、事件の続発は、何故、起きたのだろうか? 襲撃は、6月のサンパウロの脇山事件の翌月から始まっている。「認識
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(78)
ニッケイ新聞 2013年9月14日 『拘留報告記』の執筆者が、オールデン・ポリチカで尋問を受けたのは、拘引後26日目であった。 尋問は、臣道連盟の内容、戦争の勝敗、四月一日事件などについて
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(79)
ニッケイ新聞 2013年9月17日 虐待や理不尽な取調べ以外に、被留置者は──その全員ではないが──辱めや拷問を受けた。 辱めとは、素っ裸にして放置しておく、といった類いのことで、すでに一寸
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(80)
ニッケイ新聞 2013年9月18日 不可解な請願書 以下、サンパウロ及び地方で起きた事件をひっくるめての話だが、すべては状況誤認の連鎖から発生していた。 最初、邦人社会の殆どが、戦争は日
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(81)
ニッケイ新聞 2013年9月19日 司法大臣、大統領も…… 1946年8月10日、司法大臣から、アンシエッタ及びカーザ・デ・デテンソンに拘置中の80名の「国外追放令に、ガスパール・ドゥット
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(82)
ニッケイ新聞 2013年9月20日 戦争状態にまで発展していた戦勝派と認識派の戦いは、1947年1月の森田クニャード誤殺事件(既述)を最後に、パタリと終った。 終わった理由は色々考えられる。 警
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(83)
ニッケイ新聞 2013年9月21日 虚名のみ残して…… ここで、これまで断片的に記してきた臣道連盟の実態を整理しておく。補足事項も加えて。── 臣道連盟は、戦時中にあった興道社が、終戦直前、改称
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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(84)
ニッケイ新聞 2013年9月24日 勝ち負け騒動の話は、これで終わりというわけではない。ほかにも不祥事が発生していた。詐欺である。戦勝説を利用した手口で、戦後十年の間に、何件も起こった。(これも拙著