連載
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移民のふるさと巡り=南バイーアの移住地へ=連載(5)=この日を待っていた=ウナ移住地=一行に元気もらう
2005年10月18日(火) 旅も後半にさしかかり、ようやく快晴を迎えた土曜日、イリェウスから南へ六十三キロ離れたウナの移住地へ向かった。 ウナはポルト・セグーロから二百キロ、サルヴァドールから五
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特別寄稿=連載(4)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義
2005年10月15日(土) そうした戦後の時代になって、日系社会は二、三世々代が各面でブラジル社会に浸透して行くとともに、急激に同化傾向をたどってきた。 現今のブラジル社会が理想としているのは、
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移民のふるさと巡り=南バイーアの移住地へ=連載(4)=気さくなシロウさん=ガイドとして随行3回目
2005年10月15日(土) 旅の中日、三十日はテイシェイラ・デ・フレイタスからイリェウスまで約五百キロを北上。 今回でふるさと巡り随行三回目、参加者からは「シロウさん」と呼ばれ親しまれるガイドの
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特別寄稿=連載(3)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義
2005年10月14日(金) おそらく移民世代は、よく見つもっても五%ていど、せいぜい七万数千人だろう。その後継世代では、二世々代はすでに高齢化の段階にある者が多く減少の傾向にあるが、彼らの一部には
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移民のふるさと巡り=南バイーアの移住地へ=連載(3)=パパイアほお張って=地域最大の移住地で交流
2005年10月14日(金) 雨の州道367号、国道BR101をバスで進む。 ポルトガル人が初めて見た山モンテ・パスコアル(五百六十三メートル)が白い。雲で蓋をしたように、空は少しも晴れ間を見せよう
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特別寄稿=連載(2)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義
2005年10月12日(水) この苦闘はみごとに報いられ、二世々代以降のニッケイ人(※註=宮尾グループでは漢字の「日系人」は一世も含めた意味。「ニッケイ人」は二世以降のみをさす場合と使い分けている)
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移民のふるさと巡り=南バイーアの移住地へ=連載(2)=16世紀入植の村にて家々に慣用句の由来発見
2005年10月12日(水) 腹ごしらえをしたふるさと巡り一行は、ポルト・セグーロの歴史遺産地区へ向かった。 一五三五年に六百人のポルトガル人が入植した最初の村、ヴィラ・ノッサ・セニョーラ・ダ・ペ
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特別寄稿=連載(1)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義
2005年10月11日(火) 先日、橋本龍太郎元首相(日伯議員連盟の日本側会長)から協力をとりつけたことにより、日伯学園化する構想が持ち上がっているアルモニア学園増築計画はいっきに現実味をおびた。こ
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移民のふるさと巡り=南バイーアの移住地へ=連載(1)=顔見知り多い参加者=まず日本料理で準備運動
2005年10月11日(火) ブラジル「発見」の地、ポルト・セグーロから南バイーアの三つの移住地、テイシェイラ・デ・フレイタス、ウナ、タペロアをまわった、県連の第二十二回移民のふるさと巡り。五十二人
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日本語教育シンポ=多様化する学習者への対応=連載(終)=アメリカ=約9割が非日系学習者=1500公立高校で選択科目に
2005年10月7日(金) 「東京都杉並区は第二のふるさとです」。そう歯切れのいい日本語をしゃべるのは、米国日本語教師協会連合のスーザン・シュミット事務局長(59、非日系)だ。日伯文化連盟主催の日本