連載
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(15)
ジュキア線 本稿②で記した様に、リベイラ流域の邦人の開発前線は、移植民会社が造った植民地と自然に生まれた集団地によって、構成されていた。前者については、前項までに概説した。 後者は
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(14)
ただ1家族の残留者 筆者は、海興の植民地づくりは、キロンボが最後であった‥‥と長く思い込ん
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(13)
存在感を維持 暗い話になってしまったが、2013年1月のセッテ・バーラスは、ごく普通の明るいムニシピオだった。 人口は1万3、60
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(12)
森の中の白骨死体(Ⅱ) 2013年1月、筆者は再度のリベイラ流域の旅の途中、セッテ・バーラスで、前項の白骨死体の話を耳にした。そこで、遠藤寅重さんに 「現地へ連れて行って貰えないでしょうか。途中
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(11)
森の中の白骨死体(Ⅰ) 2005年の5月のことである。レジストロの北隣りの
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(10)
落ち着けぬ静けさ 筆者が、前記のレジストロ植民地をひと回りした時の印象は(静かだ‥‥)であった。この植民地は分割して造られ、1部、2部、3部、4部、5部と名付けられた。1部は市街地化していて、む
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(9)
何故、衰退したか? レジストロの紅茶は、1982年から、空前の好況期に入った。国際的に価格が高騰、折からのブラジル政府の──すべての輸出に対する──奨励策も重なって、業者の収益率は大きく膨張した。
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(8)
紅茶、誰が産業に 育て上げたか(Ⅱ) レジストロの紅茶の産業化には、なお多くの歴史があった。 それは、前出のシャー・ツピー組合の発足から話を進めると、整理しやすい。 発足は1937年であるが
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(7)
紅茶、誰が産業に 育てあげたか(Ⅰ) 前項の前半に記した話からは、レジストロの紅茶=岡本寅蔵というイメージが鮮明に浮かび上がってくる。その産業化は岡本の功によって成った、というイメージである。
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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(6)
プラント・ハンター その「産業」に育ったのが、紅茶である。これについては入植者の奈良県人、岡本寅蔵の名が伝説化している。 日本で製茶職人であった岡本は、1920年代、緑茶の生産を志した。が、種子す