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デカセギ 関連記事

アマゾンを拓く=移住80年今昔=【アマパー編】=《1》=元グアマ移民、三島利幸さん=巡り巡ってマカパーへ=「暑さ除けば、いい所」

ニッケイ新聞 2009年10月27日付け  赤道直下にあるアマパー州(州都マカパー)。アマゾン河口に浮かぶマラジョー島を挟んだベレンの対岸にあり、1988年に連邦直轄領から州に昇格した人口60万の小さな州だ。1950年代にマタピー、カンポグランデ、ファゼンジーニャ、マザゴンの4カ所に日本移民が入植したが、ほとんどが数年内に脱耕し ...

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厚労省=山田課長「さらに日本語必要に」=帰国支援で1万4千人=25日にフォーラム開催

ニッケイ新聞 2009年10月24日付け  「日本政府は諸外国よりも手厚く日系人対策を実行しています」。厚生労働省職業安定局の外国人雇用対策課、山田雅彦課長(43、愛知県)はCIATE(国外就労者情報援護センター)主催のデカセギ国際フォーラムに参加するために23日来伯して記者会見し、そう強調した。  日系人向け対策全体の6~7割 ...

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日伯論談=第24回=日本発=ブラジル人青少年の壁=スペシャリスト養成教育に力を

2009年10月24日付け  「職業訓練校の試験科目は日本語、一般教養、数学、適正検査と面接。僕ができたのは数学と面接くらい」―。そう語る中村ロベルトさん(仮名、23)は去年12月新潟県長岡市内の部品製造工場をクビになった。不況の波は約4年勤務し、日本語会話にも支障のない彼にも容赦なく襲いかかった。彼は職業訓練校に通ってコンピュ ...

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CIATE=デカセギ国際フォーラム=25日に文協小講堂で

ニッケイ新聞 2009年10月23日付け  国外就労者情報援護センター(二宮正人理事長)が主催する国際フォーラム「世界的危機に直面したデカセギ者」が、文協小講堂で25日午前9時から行われる。同時通訳付きで入場無料。同センターの浅野嘉之専務理事は「興味のある方はぜひ参加してください」と呼びかけている。  金融危機後に開催される最初 ...

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100周年評価シンポ=なぜ盛り上がったのか=その理由と背景を探る

ニッケイ新聞 2009年10月22日付け  「昨年の100周年では、なぜブラジルのメディアがあんなに好意的に扱ってくれたのか。それが調べるのが評価の出発点です」。26~27日にサンパウロ市の国際交流基金日本文化センターホールで行われる「日本移民100周年評価シンポジウム」を説明する記者会見が20日にあり、組織委員長の渡部和夫さん ...

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ジャクチンガの思い出今も=サンパウロ市で13回目の出身者会=三世も参加、60人で賑う

ニッケイ新聞 2009年10月21日付け  サンパウロ州ポンペイア市郊外にあったジャクチンガ移住地出身者の集い(国井精世話人代表)が12日、サンパウロ市の青森県人会館で開催された。1936年に入植が開始された同移住地。綿やバタタ栽培で潤い、最盛期は98家族500人が暮らした。同集いは74年から開始され、今年で13回目。かつてそこ ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2009年10月21日付け  原口一博総務相は中日新聞の取材に応えて、日系ブラジル人ら新来定住外国人の医療、教育、福祉などの公共サービスを保障するような基本法である「多文化共生推進法」(仮称)の制定を検討していることを明らかにし、「静岡はモデルになる」(同紙19日付け)とのべている▼民主党が推薦した川勝平太知事が静 ...

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リベルダーデ=日系のお菓子屋さん誕生=「SEGREDO・DOS・DOCES」=人材派遣業からの転身=蛯原、柳屋さん「気軽に寄って」

ニッケイ新聞 2009年10月17日付け  サンパウロ市リベルダーデ区に蛯原忠智さん(二世、33)と柳屋守さん(42、長崎県生まれ)が営む駄菓子屋「SEGREDO・DOS・DOCES」(Rua da Gloria, 68)が新しく誕生した。明るく清潔な雰囲気の店には約5千種のお菓子が揃う。以前は人材派遣業を営んでいた二人。近年、 ...

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コラム オーリャ!

ニッケイ新聞 2009年10月17日付け  デカセギ派遣業をしていた蛯原忠智さんと柳屋守さんの二人が、菓子屋として再スタートを切った(本日付7面掲載記事)。他の派遣業社も店をたたむか、通常の旅行業を続けるか―この二人のように様々な策を図っている。  開店場所には、かつて日本人街と言われたリベルダーデを選んではいるが、二人は「対象 ...

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日伯論談=第23回=ブラジル発=藤江千恵子=デカセギ帰伯者の子ども=ブラジル公立校への転入

2009年10月17日付け  世界的な経済危機の影響で、私が校長を務めるサンパウロ州立校は日本からブラジルに帰国した親たちの子どもを受け入れた。予想外の出来事で、経済的に何も計画のない形での帰国であるために、多くの親は子どものために公立校の空席を探すことになってしまったのだ。  このような生徒を受け入れている多くの学校は、彼らを ...

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