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リオで一興、夜の海水浴=音楽、お酒で楽しむ日の入り=市民、観光客に大人気

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連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(75)

ニッケイ新聞 2014年1月9日 「それと時を同じくして『日蓮』が『天台宗』の一つの経典である『法華経』の中で、晩年のお釈迦さまが『ここに説く教えこそ、最も大切である』と述べておられるのに注目して、これ以外は不要ではないかと説く『日蓮宗』を開き、『法華経』の『妙法蓮華経』に帰依する意の『南無妙法蓮華経』七字に簡素かした題目を唱え ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (98)=飛躍的に発達するインフラ=上下水道、電化、電話整備も

BR116号の開通式に出席するためにレジストロにきたクビチェッキ大統領(左から2人目、『レジストロ日系コロニア実態調査2003』48頁より)

ニッケイ新聞 2014年1月8日 青柳育太郎が一世紀前に「必ず南部は大発展する。イグアッペ植民地は、そことサンパウロ州をつなぐ交通の要衝になる」と見込んだのは当たった。ただし、発展のスピードはその見立てほど早くなかった。 『曠野の星』(1954年02月、第22号)によれば、CAC産組製茶部の専務理事だった山崎良作は《茶の工場四六 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (97)=続々と生まれる日系政治家=転機となった1960年前後

ニッケイ新聞 2014年1月7日 写真=郡会議員当時の柳沢嘉嗣ジョアキン、那須野秀男、前地豊(写真はみな『50周年記念写真帳』13頁) イグアッペ植民地と呼ばれた地域(桂、レジストロ、セッテ・バーラス)のうち、レジストロは1944年に市政を布き、続いてセッテ・バーラスもレジストロから59年に独立した。このように、日本移民が造成し ...

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大耳小耳

ニッケイ新聞 2013年12月21日  援協など日系福祉団体に1千万円の寄付を行った北島績さん。当地への連絡窓口として本紙編集部を選んだのは、滞伯中に出席していた一世の集まり「ひこばえ会」で、上田鉄三さん(故人)と知り合っていたからなのだとか。弊紙の前身にあたるパウリスタ新聞の編集長だった上田さんが、サドキン社時代の同僚だった松 ...

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世界的シェフ アレックス・アタラ氏の店 『ダルバ・エ・ジト』

ダルバ・エ・ジト

 忍者ぐるめ隊の次なる標的は、かの有名な「D・O・M」(サンペレグリノ世界のベストレストラン10の常連)のシェフ、アレックス・アタラさんの2号店「ダルバ・エ・ジト」(Dalva e Dito)だ! ブラジル一の腕を持つというシェフの腕前は本当か?  場所はジャルジン・パウリスタ区。間接照明がムードをかもし出す広い店内はデートにぴ ...

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連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(58)

ニッケイ新聞 2013年12月7日  測量班の年配の男が、 「(ミサ?! ここでやれないのか?)」 「(ミサと云っても『ブッダ』だぞ)」 「(『ブッダ』でもいい、やってもらいたい)」 「(先を急ぐんだ)」  一番年寄りの男は考え込んで、 「(帰りにここを通るだろう)」  最後に、炊事係が持ち出した地酒のピンガ(サトウキビから造っ ...

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百歳表彰伝達式に12人=家族、友人らが集い祝福=サンパウロ管内は33人

ニッケイ新聞 2013年11月7日 写真=田鍋義美さんはしっかりした姿勢で記念撮影  在サンパウロ日本国総領事館(福嶌教輝総領事)は5日、総領事公邸で『平成25年度百歳以上高齢者表彰伝達式』を行った。今年の9月15日において存命の33人が対象となった(内5人が逝去)。本人12と代理5の計17人が、福嶌総領事から記念品と賞状を受け ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (80)=珈琲、カンナ、養蚕、果実=基幹作物探して試行錯誤続ける

ニッケイ新聞 2013年11月29日  基幹作物が見つからず、同地では苦しい生活が続いた。脱耕者が続々と出る中で、青年らはその不安な想いを野球にぶつけたのかもしれない。  松村昌和は1930年前後の様子を、「奥地から移転してきた人にはコーヒーの経験はあったが、最初は海興がその植え付けに賛成しなかった。そのうち許可が出て、その人ら ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (78)=バストス写真帳後、引揚げ=各地で貴重な写真残す一家

ニッケイ新聞 2013年11月27日  1933年当時、白米一俵12ミル、牛肉1キロ800レース、ピンガ1リットル1ミルの時代に、12×18(6枚)の写真代が28ミルもした。だから当地で印刷したら高くなりすぎて売れないと判断し、写真原版をもって33年2月に単身、遥々帰国して北海道に戻った。350冊印刷し、同年末にはレジストロへ戻 ...

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