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ボリビア 関連記事

パナマを越えて=本間剛夫=103

 この移住地は戦後、日本政府の事業として成功した約百家族の日本人の集団地だった。そこまで行けばブラジル国内の山地も平野も道路が整備されていて二、三日でラパスに着ける。ロベルトは軍人としてゲバラ以上に大陸の地理には明るかった。「俺はアルトパラナからコチャバンバのペルー組と連絡をとって合流する。君はサンタクルースでジャングルの先進グ ...

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パナマを越えて=本間剛夫=102

 私は疲れていたので、男たちに挨拶して夫人の案内で寝室に入り、着ている服装のままベッドに横になって、小一時間も軽寝したと思ったとき、隣室の男たちの声で眼を覚まされ、起き上がって隣室に入った。 隣室の声はゲバラと彼の中学時代の友、ロベルトとの会談だった。田代夫人も同席していて「お目覚めですね」と迎えてくれ、ゲバラに向かって、「日本 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=100

 もし予測できたなら、なぜコロンビア、ヴェネズエラの革命派働きかけなかったのだろうかとゲバラの短慮を怒った。しかし、ペルーの同志たちは既にアンデスを越えてコチャバンバまで降りて来たことはゲバラを勇気づけるだろう。と自分を慰めた。       10 数日後、突然エスタニスラウが訪ねて来た。私はターニャの話で、この国の左翼が君たちの ...

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南米人の〃夢〃大陸横断鉄道

 5月に来伯した中国の李克強首相が大陸横断鉄道構想を提案し、話題を呼んだ。この種の壮大な鉄道構想は古くからの南米人の夢で、1846年にボリビア人技師ジョゼ・パラシオが言い出したとの記録がある。ボ国独立が1825年だから21年後。同技師はすでに「アンデス山脈を越えるのは困難だから、アマゾン盆地に下ろして欧米に物流ルートを」と考えて ...

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パナマを越えて=本間剛夫=98

 それから間もなく、私がベッドに横になろうとすると電話のベルが鳴った。パウリーナからだった。 エスタニスラウは今ごろたぶんゲバラとドブレに会っていると思う。それから彼女は私がゲバラについて十分な認識がないと見たのか、ゲバラが現在までどんな活動をしているのかを説明した。 ゲバラが医師であること。学生時代、彼は考古学を専攻していたが ...

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パナマを越えて=本間剛夫=97

 待つほどでもなく二人の若い女性が姿を見せ、一人が自分はパウリーナと名乗り、同伴の女性をターニアと紹介した。大使館の中には昼食時で誰もいない。私は面接室に二人を招いて向かい合った。パウリーナはドイツ人といいながら流暢なスペイン語を話した。二人ともアルゼンチン生まれのドイツ系だった。 私はエスタニスラウがこの町に来たはずだがという ...

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パナマを越えて=本間剛夫=96

 私は昨日はサンファンを見、今日はこちらの移住地が立派だと聞いてきました、と率直に答えた。「じゃ、うしろの車にお乗んなさい」と老人は馬を止めてくれた。「わたしたちはアメリカさんのおかげで、ラクな暮らしができるようになりましたです」と満足げに馬に鞭をいれた。 老人は途中、雑貨店にメリケン嚢を担ぎ込んですぐに出てきた。老人はそれから ...

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パナマを越えて=本間剛夫=95

 私は組合事務所の職員たちに勧められて三日を費やして移住地の農家を訪ね廻った。どの家族も過ぎた十年間の苦労を、今では懐かしい思い出として話してくれるのが嬉しかった。 移住者たちはめいめい五〇ヘクタールのジャングルの大半を開拓して見事な農地を経営していた。産物の大部分は隣国ブラジルの市場に出せるようになったという。 小学校も完備し ...

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パナマを越えて=本間剛夫=94

「日本からですか。珍しいですね。日本からの訪問者は年に一人か、全く来ないこともあるんですよ。私たちは日本政府の棄民政策でここに入れられたんです。しかし、自分らの苦労の歴史よりも、現在、母国のすばらしい発展は、そんなことは忘れて日本人としての誇りをもてて辛いを感じる方が強いです……。ここの農産物も年々周りの国々へ出るようになりまし ...

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パナマを越えて=本間剛夫=93

 小屋の中は黒かったが、老爺がカンテラに火を入れると闇の中から少年と少女二人の顔が浮かび上がった。青年が老夫婦に私を日本人の友人だと紹介した。私たちは旅装を解いて土間に座り込んだ。老婆は土間の隅で夕食の支度を始めるかと思っていると、黄色い厚い煎餅のようなものを差し出した。「食べろ」というらしく何か呟いた。青年にならって私もおし頂 ...

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