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勝ち負け抗争 関連記事

県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(1)=タウバテ=突風で壊された会館直し=創立70周年目指し躍動

タウバテ日伯文化協会の漆畑哲雄オスカル会長

ニッケイ新聞 2014年3月27日 第41回県連「移民ふるさと巡り」の参加者122人(ガイドや運転手合わせ計129人)は14日午前9時に東洋街のリベルダーデ広場を出発し、4日間、リオとの間にあるパライバ平野と聖北海岸部の4日系団体と交流して回った。笠戸丸以前の安田良一や東山のピンダ農場、戦前から名を馳せた鐘ケ江農場、ノロエステ線 ...

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■訃報■元新潟県人会会長 柿島昭三さん

ニッケイ新聞 2014年3月21日 元新潟県人会会長の柿島昭三さんが12日、尿道疾患のため逝去した。19日にスザノ市サンセバスチャン墓地に埋葬された。享年85。 戦後の勝ち負け抗争で不和をきたしていた日系社会の融和のため、1956年にカトリック教の修道会「神言会」から5年契約で当地に派遣された。サンパウロ、パラナ州を中心に伝道活 ...

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戦前戦中の移民史に光当てる=真相究明委員会謝罪の背景=(上)=Fモライス著作への反発=日系人の〝パンドラの箱〟

真相究明委員会のサンパウロ州小委員会「日本移民の死と拷問」公聴会の様子。左から3人目がジョーゴ州議、カルドーゾ弁護士、奥原、日高。(写真=CVESP)

ニッケイ新聞 2014年3月19日 軍政時代に学生運動家として逮捕され、拷問を受けた経験を持つジウマ大統領の肝いりで2012年5月に立ち上げられた「真相究明委員会」で、戦争中の日本移民迫害が取り上げられ、昨年10月に同委員会が謝罪するに至った。この件は日本の共同通信や産経新聞はじめ、英ガーディアン紙でも扱われ、米国邦字紙の北米報 ...

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人文研研究例会=川畑三郎の人間性えぐる=前山隆〃勝ち組の頭脳〃講演=独自の「移民運動」を解説

「川畑はカントの哲学専門用語を的確につかった」と語る前山さん

ニッケイ新聞 2014年2月20日 ブラジル移民研究の第一人者で『移民の日本回帰運動』など多くの著書を持つ文化人類学者・前山隆さん(80、北海道)=静岡在住=が18日午後、サンパウロ人文科学研究所の研究例会として講演「昭和新聞と川畑三郎―〃勝ち組の頭脳〃と言われた人物」を一時間余り行った。勝ち組を代表する論客であったにも関わらず ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (96)=戦後に呼び寄せ組合を創立=サンパウロ州移民再導入の先駆けか

RBBC初代会長だったシゼナンド・デ・カルヴァーリョ(『50周年記念写真帳』12頁)

ニッケイ新聞 2014年1月4日 いち早く連合青年会を1947年に発足させたのは、子弟教育が行き届いていないという焦りもあった。《レジストロ地方の子供が次第にカボクロ化してゆきつつあるのは事実だ(中略)町は一般に退廃的な点がうかがわれる。田舎での同化は退化と同義語といってよい》(『曠野の星』1954年2月、第22号、29頁)とあ ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (95)=勝ち負け最中にRBBC創立=コロニア最古の連合青年会

レジストロベースボールクラブの本部(同50周年記念誌の表紙)

ニッケイ新聞 2014年1月3日 〃お茶の都〃として名を馳せた水郷レジストロだが、戦後にコロニアで編纂された移民史からは、最初の永住志向集団地であるイグアッペ植民地やその創立者・青柳育太郎という存在はぼかされていった。しかし、地元では戦争中に海興が清算された後も、戦前からの命脈をしっかりと保ち、戦後初の日系団体を正式発足させ、8 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇ (93)=「日本負けた」と馬鹿にされ=桂植民地にも勝ち負け余波

ニッケイ新聞 2013年12月18日  1945年6月6日、ブラジル政府はついに日本に宣戦布告した。同年5月にベルリンが陥落し、欧州戦線は終息。日本も沖縄戦をしている最中で、降伏は時間の問題と見られていた。つまり、連合国側について終戦交渉を外交的に有利な立場で行うためだろう。    ☆   ☆  1945年8月15日、植田(うえ ...

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大耳小耳

ニッケイ新聞 2013年11月2日  レジストロ地方百年祭では2人のブラジル人が顕彰された。日本人だけの団体が許されなかった勝ち負け抗争の真っ最中、1947年に創立されたレジストロ・ベースボール・クラブ初代会長を務めたシゼナンド・デ・カルバーリョ、そして初代幹事長ジョナス・バンクス・レイテだ。父の代わりに受けった息子ロランド・カ ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (74)=親は仏教、子はカトリックに=教会が醸し出す融和の雰囲気

ニッケイ新聞 2013年11月19日  最初の植民地だけに、つねに排日の矢面に立たされるつらい境遇に置かれていた。そのゆえ、カトリック信徒になることは、「異分子」扱いされやすい社会的抑圧を中和するための大事な手段であった。  桂植民地に住んでいた柳沢嘉嗣(よしつぐ、89、二世)=イグアッペ在住=は「桂には小学3年までしかなかった ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (73)=長野、教会、米、バナナ=本間剛夫 日本初の勝ち負け小説

ニッケイ新聞 2013年11月14日  那須野秀男さん(83、二世)=レジストロ在住、3月取材=も両親が長野県出身で1918年に〃信濃村〃第4部に入植した草分け組だ。  「長野では『ブラジルには金のなる木がある』って宣伝があったんですよ。だから長野からまとまって来た」。教会の第2期工事の真っ最中、1929年11月に那須野さんは生 ...

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