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コーヒー 関連記事

道のない道=村上尚子=(13)

 さて、茂夫が一時身を寄せていた,川中家の説明をしたい。  半年前、同県人ということで食事に招待されたのだ。四キロメートル離れている。おじさん(七十歳)、おばさん(五十五歳)、娘の静加(十九歳)、息子の友夫(二十二歳)、それに同居の光夫(二十ニ歳)。彼らは、コーヒー園の手入れの傍ら、もうとっくに自給自足をやっている。家の回りは、 ...

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道のない道=村上尚子=(11)

     難 産  この日も臨月の私は、焼けつくような日差しの中、切り倒してある大木を、移動させようとしていた。大木の両端に鎖の輪をつけて、その鎖へ棒を通し弟と二人で担いでいた。渾身の力で持ち上げて、数歩行くと急に腹痛がして、しゃがみ込んでしまった。抱え込まれて室の中に寝かされた私に、母は落ち着いた物腰である。 「陣痛が、始まっ ...

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道のない道=村上尚子=(7)

 わき道にそれるが、とうもろこしでの思い出がある。  その時から二年過ぎた頃である。弟は独学でスペイン語が何とか解りはじめていた。なので、こんな人里はなれた所にも、細々とした情報は入ってきていた。どうも隣の四キロ先にある所に、人殺しが住んでいるという。パラグアイ人の男で、今警察に追われ、そこへ逃げ込んでいるとのこと。  当時のパ ...

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道のない道=村上尚子=(5)

 ところで、この地区には監督という者がいる。月に一度くらい馬に乗って、仕事の進み具合を見にくる。やかましい小言は何も言わずに、十五分もいたら帰って行く。  父に期待する者はいない。だれも口にこそ出さないが、この家の中が平穏であることだけを願っていた。  そんな父が珍しく、せかせかと庭の土をいじっている。見ると、日本にあったと同じ ...

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今のブラジルに必要な日本精神が込められた本

長野県長野市の真田公園内にある恩田杢像

 サンパウロ青年図書館と本紙が出版する日本語・ポルトガル語両語のシリーズ本『日本文化』第3巻が、先ごろ刊行された。今までポルトガル語では紹介されたことのないトヨタ、ホンダ、キョーセラの創業秘話や企業哲学を中心とした8話構成だ。中でも統一地方選挙の年なので、政治関係で思い入れの深い2編も組み込んだ▼一つ目は「恩田杢(もく)」だ。財 ...

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過去の差別法令を集める=日本人移民関連法令集を刊行=「過ち繰り返さないために」

著書を手にする白石ミルテスさん

 「私たちの親や祖父母の時代、いかにブラジル政府は日本移民を差別していたか。それは法律にはっきり表れている。二度と繰り返さないように、それをまとめようと思いました」――サンパウロ市在住の弁護士、白石チエコ・ミルテスさん(52、三世)と、弟でマラニョン連邦大学の白石ジョアキン・ネット教授は、そんな思いを込めて共著でポルトガル語著書 ...

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道のない道=村上尚子=(4)

 その頃、茂夫とは、軽く付き合ってはいた。けれども、結婚など考えてもいなかった。当時の多くの者は、父親の意見には、従わなければならなかった。私の父であれば、絶対服従である。それでも強く抵抗した。 「いやばい(いやです)」懸命に言い続けた。父に言い含められている母は、深刻になり、私を説得した。 「お父さんが、どうしてもち言うき、言 ...

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折り紙月刊誌で五輪特集=キリスト像の作り方も掲載

「月刊おりがみ」の表紙。水辺に集るトゥッカーノやフラメンゴをイメージした

 日本折紙協会が発行する『月刊おりがみ』の8月号で、「ブラジルでオリンピック」と題する特集が組まれた。序文には「スポーツほかカーニバル、大自然、農業、資源など…。遠い国なのに、ブラジルのイメージはどれも強烈」と記され、過去の関連作品の紹介や、キリスト像の折り方が解説されている。  写真と共に大作を紹介するコーナー「おりがみギャラ ...

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和歌山県人会=移住百周年法要で先人弔う=第1号中井家の子孫も参列=来年に式典、初の記念誌も

焼香する参列者

 ブラジル和歌山県人会(谷口ジョゼー会長)が今年、日本からブラジルに移住した県人の百周年を迎えたことから、18日午後にサンパウロ市内の県人会館で追悼法要を行なった。来年には知事らを招待した百周年記念式典を予定しており、同会初の記念誌編纂にも着手する。  三重県出身で、のちに和歌山県に転住した中井浅吉を家長とする一家が、和歌山県人 ...

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道のない道=村上尚子=(1)

パラグアイへ  気の遠くなるような広大な地に、私は立っている。  ここはパラグアイにあるペドロ・ホワン・カバレイロという地区である。ブラジルとの国境のある町、ポンタポラン市から、更に十五キロメートル奥にある、コーヒー園である。  私たち家族は、四十代の父母、十九歳の私、夫の茂夫二十一歳、弟保明十七歳、そしてあと、妹町枝十歳、弟、 ...

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