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コーヒー 関連記事

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(65)

伊予の放蕩児とカフェー景気 アサイの主作物の一つであった綿は、戦後、採算が芳しくなくなった。政府の為替政策の影響で、輸入品の農薬の価格が上昇したためである。それに代わって景気が出たのが、もう一つの主作物カフェーだった。 すでに何度か触れたことであるが、カフェーは、終戦の年から1950年代にかけて、世界的に需要が上昇した。「戦争が ...

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世界初=新生すき家がサウーデに=「現代の日本」がテーマ

新業態の店内

 大手牛丼チェーン店「すき家」(ゼンショー社)の「現代の日本」をコンセプトにした国外向け新業態が、世界8カ国で展開する141店舗に先駆け、12月よりサンパウロ市サウーデ(Av. Jabaquara, 1863)に開店した。今後も同様の業態がリベルダーデ広場や地下鉄サンジョアキン駅に近くに開店予定だ。 店内の壁には米国人アーティス ...

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GDP=3Qは1・7%のマイナス=世界ワースト級の下落=15年はこれまで4・5%減=いずれの部門も振るわず

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ニッケイ歌壇(500)=上妻博彦 選

バウルー  小坂 正光

渡伯時に生れし末弟を伴いて八十五年の廃耕地訪う
コーヒーの樹海で栄えしノロ線の末弟生れし廃耕地訪う
生れ出て人生一と幕老いの坂今朝も洗顔ヒゲを剃るなり
夜半覚めて寝むれづ文を手になせば何時しか刻の過ぐるに気づく
朝毎にコーヒー呑みつつ老い妻と冗句まじりの会話を楽しむ

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日伯外交120年周年と移住=両国側の思惑と条約締結=日清、日露戦争との関係は=1879年に最初の気運

「日本国及伯剌西爾合衆国間修好通商航海条約」(調印書、外務省外交史料館より)

 日本とブラジルは1895年11月5日パリで、曾禰荒助駐仏日本公使とガブリエル・アルメイダ(Gabriel de Toledo Piza e Almeida)駐仏ブラジル公使が「日伯修好通商航海条約」(「日本国及伯剌西爾合衆国間修好通商航海条約」)を調印して外交関係を樹立した。1897年2月に批准書交換が行われ、リオ州ペトロポリ ...

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頑張れ! おばあ茶ん

 サンパウロやパラナの内陸でサトウキビ畑を眺めていると、「昔は全部コーヒー畑だったんですよ」と地元の人に聞いたりする。トメアスーのピメンタ畑も今は昔。病気や相場があるから、農業は難しい。かつて紅茶で栄えたレジストロもそうだ。わずかに残る紅茶畑で、「ここから眺める夕日が最高なんです」と語ったある二世の言葉が忘れられない。〃紅茶の都 ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(4)

オリンピアの大農場主、金城正仁家の人々

 それから20年の歳月が流れた。沖縄庶民の暮らしは何も変らぬ昔同様、それこそドン底の暮らしであった。 そこでまた、亀の弟金城正仁が、これまた同じ動機で18歳の長女を先頭に1歳の乳飲み子までの8人の子供を引き連れてブラジルに移住、モジアナ線地方に入植した。 1937年のことであった。10人家族で過酷なコーヒー栽培に従事、成長する子 ...

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約50人が昔話に花咲かせ=第29回サントポリス郷土会=水田会長「来年は盛大に」

郷土会のみなさん

 まず笑顔で握手する。でも名前が分からない。「お名前、何でしたっけ」「思い出した!」と気付いて喜び合う。会場のあちらこちらで、そんな場面が見られた。サンパウロ州ツッパンから北35キロにあるサントポリス植民地のゆかりのある人でつくる『サントポリス郷土会』の第29回昼食会が4日、サンパウロ市の秋田県人会館で行なわれ、約50人が集まっ ...

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■ひとマチ点描■藤坂流日本舞踊の伝道師=パラナの江淵カルロスさん

 「私の足腰が立たなくなっても、若い世代がこの文化を広めてくれることを願っています」。そう言うのは、日本舞踊を教える江淵カルロスさん(66、二世)だ。 1949年、サンパウロ州ツッパンのコーヒー農家に生まれた。子供時代を振り返り「日本語教育を受けさせてくれたことに感謝している」。貧しい家庭にも関わらず日本語教室に通い、輸入品であ ...

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カルドーゾ大統領の功罪=パラナグァ 増田二郎

 私はこのブラジルに、呼び寄せ移民として1953年に渡伯いたしました。来た当時は漠然と、祖父たちの仕事と同じように農業で身を立てて行くのだと思っていましたが、こちらの食べ物のあまりにもの油っこさに、腎臓炎をおこしてしました。それ以来、農村生活を諦め、15歳で町に出てある商店で住み込み小僧として働き始めました。 その3年後には、叔 ...

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