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パラナ州アサイ市に日本式城=伯国初、10年がかり夢実現=非日系市長発案、移民史料館も

開城式の様子(吉田副会長提供)

開城式の様子(吉田副会長提供)

 パラグアイの前原城に続き南米2つ目、ブラジルでは初の日本式城が1日、パラナ州アサイ市に完成した。市内で最も高い丘の上に立ち、町のどこからでもその姿を見ることができる。ブラジル拓殖組合(以下、ブラ拓)による4大移住地の一つとして同市は始まった歴史を持つ。市役所が建設し、城内には日本移民史料館などがあり、日本移民の歴史を発信する役割を担う。移民百周年時の発案から10年――地元住民の念願がついに叶った。

 「旭城」と名づけられたこの城は、4階建てで石垣も含めた高さは約25メートル。城内にはエレベーターが設置されている。パラナ州が兵庫県と姉妹都市であることから姫路城を模して城壁を白にし、城に続く階段には日系人の存在を象徴する赤鳥居を2基建てた。
 アサイ市が所有・運営し、アサイ文化連合会(中川武宣会長)が展示企画、史料提供などで協力する。地元新聞フォーリャ・デ・ロンドリーナは「建築費は約300万レアル(約9千万円)」と報じた。建設用地はブラ拓が市に寄付した土地を使用した。
 「旭城築城計画」は日本移民百周年を迎えた2008年、ミシェル・アンジェロ・ボンテンポ市長(当時)が発案。同地で生まれ育った非日系市長は大変な親日家で、日本人の功績を形として残すとともに、アサイ市のシンボルとして観光客を呼び込む考えだった。
 アサイ文化連合会の吉田国広副会長(73、二世)は当時を振り返って「市長から城の話を聞いてみんなが驚いた」と言う。日系人が市長になったことは何回かあったが、そんなことを言い出す人はいなかった。
 市長の熱意に押される形で築城が決まり、アサイ文化連合会は城の設計や展示の構想などの役割を担った。マリンガ日本庭園の造園に当たっていたJICAシニアボランティアの川下滉さんが模型を制作。市長と小岸会長(当時)、建築技術者3人らがパラグアイの前原城を視察した。
 当初2010年中の完成を目指していたが、工事が遅延。さらに、2012年に新市長になってから4年間、工事は全く進まなかった。
 好転したのは2016年、城の発案者ミシェル元市長に後押しされてアカシオ・セッシ市長が当選してから。吉田副会長は「市長が代わってから急ピッチで工事が進んだね」と振り返る。
 今月1日の開城式には地元民を中心に4千人が集まった。アサイ市の人口は1万6千人だから、町を挙げて祝したと言っても過言ではない。吉田副会長は「城をアサイ市の観光資源として活用し、日本移民の歴史を広く知ってもらいたい」と期待を寄せる。
 現在、1階の展示スペースで日本移民のコーヒー作りの歴史を展示中。今後は綿作りやアサイ市の歴史についての展示を行う予定。イベントスペースとしての利用も検討されている。
 2・3階は今後使用される予定で、2階ではイベント時などに飲食を提供し、3階を日本移民記念館として史料を充実させる計画。米粒で絵画を制作する芸術家、ヤスハル・ウエダさんの作品展や、「移民の祖」水野龍の展示も予定。4階は同市文化課の事務所が設置されている。


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 アサイ市は1932年、ブラジル拓殖組合によって開拓され「旭移住地」と名づけられた。しかし、ブラジルが日本と国交を断絶した42年以降、公の場での日本語使用が禁止になった。地名としての日本語も許されず、「Asahi」を止め、微妙に変えてポ語に見えなくもない「アサイ(Assaí)」に変更した。つまり今回の城の命名で、戦後73年にしてようやく本来の「アサヒ」に戻した形だ。
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 旭城にはすでに地元の学校から子供たちが見学に来るなど、平日も多くの人手でにぎわっている。ただ、吉田副会長は、「城はできたが展示物が置かれていない場所がある。市は年内までに史料を用意するといっているがそれでは遅い。せっかくお客さんが来てもがっかりさせてしまう」と不安を抱いている。吉田副会長は市に頼らず、移民百周年のときに作った写真パネルを設置することを検討しているという。せっかくのブラジル初の日本式城なのに、積極的に活用しないのはもったいない。なにか良いアイデアがあれば、ぜひ吉田副会長まで。

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