ホーム | 特集 | 新年特集号 | 2002年新年号 | 希望あふれる-新年迎えたコチア農業学校

希望あふれる-新年迎えたコチア農業学校

強力な“援軍”だった母たちの努力

 ”背水の陣”を脱却して希望に向けて二〇〇二年を迎えた学校がある。サンパウロ州ジャカレイ市にある「コチア農業学校」だ。

 サンパウロ市を出てからグアルリョス空港を左手にアイルトン・セナ幹線国道を進むと40+320キロ地点に”南回帰線”の表示があり、この一帯が熱帯と温帯の境界に位置していることを示している。さらに、車を走らせて、約八十キロ地点まで行くと、ドン・ペドロ道路への迂回路がある。ドン・ペドロ道路に乗り、アチバイア方向に走って十キロ地点で一般道路に降りると三~四分で目的地のコチア農業学校に着くことができる。
 この学校のルーツは一九五〇年代にさかのぼる。戦後、サントス港に到着した日本人移民がブラジルでの生活に慣れるための施設としてJAMIC(日本海外協会連合会、通称・海協連)が建設した。それを、一九八七年に、コチア産業組合が創立六十周年記念事業の一環として日系農家の後継者育成を行うため、JAMICより建物と土地の譲渡を受けて学校に転換した。「コチア農業学校」の誕生である。
 学校が順調に動き始めた矢先の一九九四年に予期しない事態が発生した。運営母体であるコチア産組が巨額の負債を抱えて倒産したのである。この時に奇跡のような別の事態が同時発生した。まさに、”捨てる神あれば拾う神あり”の現象そのものであった。コチア産組の破産宣言二日前に、コチア産業組合から独立した組織として申請していたコチア農業教育・技術振興財団に政府より認可が下りたのである。コチア農業学校は母体との共同運命を免れた。そして、その後の学校運営はコチア農業教育財団が担うこととなった。
 かといって、この財団には十分な財源があるわけでもなく、火の車のような運営が数年続いた。生徒も日系子弟が減り、非日系子弟の比率が徐々に増加した。やがて、強力な援軍が登場した。農協婦人部連合会である。女性が”裏方”的存在だった日系コロニアに新しい動きの黎明(れいめい)である。巨大なコチア産業組合の崩壊が”メンドリが時を告げる”機会を提供した、とは過言であろうか。女性軍の奮闘が首の皮一枚となったコチア農業学校の”命運”を支えてきたのである。現在でも農協婦人部連合会と同ジャカレイ支部の会員が陰に陽に学校を支えてきている。教育の奥に母親あり、である。
 そして、”人事を尽くして天命を待った”母親たちの努力が報われる時が一九九九年十二月に訪れた。コチア農業学校の施設を利用してメルコスル諸国の農業後継者研修を行うという合意書が米州開発銀行(本部・ワシントン)、オイスカ・インターナショナル(本部・東京)、オイスカ・ブラジル総局三者で調印されて、二〇〇〇年から南米数カ国の研修生がコチア農業学校に入ってきた。もちろん、在校生もいる。学校に活気がみなぎり始めた。ポルトガル語、日本語、スペイン語が飛び交う日常生活が始まっている。近所の集落の子供たちも学校に出入りするようになってきた。最初は興味半々であったが、学校で始まったゴミの分別処理を真似するようになった。
 二〇〇一年には外務省の「草の根無償資金」助成により女子寮が完備された。また、経団連自然保護基金の助成により「環境教育センター」が校内に建設された。これらと前後して男子寮、食堂、教室、視聴覚室、図書室、などの施設も整備された。平均年齢五十八歳といわれる農協婦人部の会員が学校で週一回、コンピューター操作を学ぶようになった。いきいき婦人部が一層いきいきしている。近所の集落では子供たちのためにコンピューター教室も始まった。一グループ六人で六グループあるので三十六人が学んでいる。後発の子供たちが先発の”お婆ちゃんたち”を追い抜く勢いである。
 今、コチア農業学校では各種野菜、乳牛飼育、養鶏、養豚、ヤギ飼育、養兎、食用ガエル養殖、チラピアの養殖、シイタケ栽培、植林用育苗、生長点培養、病害虫研究などと、研修生や在校生の希望に応えることができるようメニューの多様化が進んでいる。指導の基本は”自然農法”で、日系コロニアの自然農法第一人者といわれる宮坂四郎博士も講義と実践指導のため毎週ジャカレイに足を運んでいる。自然農法は集約的要素が高いため苦労が多いが、収穫の喜びはそれだけ大きい、という。
 「環境教育センター」に設置されたコンピューターが通信衛星からの画像をリアルタイムで写し出すため研修生や在校生に与える影響は絶大である。このような画像は、うそをつくことがないため、植林の重要性、緊急性、必然性、を若者の心にリアルタイムで植えつけ、行動意識を駆り立てている。
 手放しで安心するのはまだまだ早計であろうが、一九九四年から六年近く続いたコチア農業学校の”背水の陣”状況は過ぎようとしている。農業は母なる大地と直結している。その農業に携わる若者の教育を陰陽両面で支えてきた日系母親たち。やはり”母は強し”である。農協婦人部の支えを歴史に深く刻み込み、未来に大きな希望を抱きながらコチア農業学校は二〇〇二年を迎えた。

image_print

こちらの記事もどうぞ

  • 東西南北2020年9月1日 東西南北  「雪が降るのでは」とまで言われ、今年一番の冷え込みとなった先週末から一転、今度は最高気温が30度前後の真夏並の気温となったサンパウロ州。急に来たこの暑さに耐えられなくなったのか、8月30日は、サントスの海岸に海水浴をする人たちが殺到した。これと同じ現象は、お隣のリオ州の海岸部 […]
  • 東西南北2020年8月29日 東西南北  大サンパウロ市圏サンベルナルド・ド・カンポの遊園地「シダーデ・ダ・クリアンサ」が26日、閉園を発表した。1969年設立の同遊園地は、ブラジル内でも最古参の遊園地として有名で、州外からも観光客を集めていた。思い出のある人も少なくないだろうが、経営難に加え、コロナがダメ押しをして […]
  • サンパウロ州海岸部=集中豪雨で12人の死者=救出作業中の消防士も殉職2020年3月4日 サンパウロ州海岸部=集中豪雨で12人の死者=救出作業中の消防士も殉職  サンパウロ州バイシャーダ・サンチスタ地区が2~3日に集中豪雨に見舞われ、3日午後0時40分現在で、死者12人、行方不明者46人という惨状になっていると3日付現地紙サイトが報じた。  2日からの雨は12時間で100ミリを超える強いもので、サンヴィセンテとグアルジャー、 […]
  • 《ブラジル》大型強奪事件の影に共通人物=指紋やDNAで関連性が判明2020年2月21日 《ブラジル》大型強奪事件の影に共通人物=指紋やDNAで関連性が判明  科学調査の進歩や犯罪者のデータバンク充実により、近年の大型強奪事件の容疑者が、他の同様の事件にも関与していた事が判明と20日付エスタード紙が報じた。  19年は、3月にサンタカタリーナ州ブルメナウのケロ・ケロ空港での強奪事件(被害額980万レ)をはじめ、7月はサンパウロ州グ […]
  • ボサノーヴァは誰が作ったの?=稀代の奇人ジョアン・ジルベルトか=サンパウロ市在住  坂尾 英矩2020年2月20日 ボサノーヴァは誰が作ったの?=稀代の奇人ジョアン・ジルベルトか=サンパウロ市在住  坂尾 英矩 ボサノーヴァ創世記に飲み歩いた音楽仲間たち  ブラジルの有名な奇人ミュージシャン、ジョアン・ジルベルトが昨年7月6日88歳で他界したニュースは、世界中の多くのマスコミで「ボサノーヴァの創始者」として大きく扱われました。中には「ブラジル音楽を改新して世界へ広めた功績 […]